赤坂の夜は更けて Vol.5

赤坂の夜は更けて:目の前で泣く彼女に何もできない。自制心を失いかけた男の胸の内

夜更けの赤坂で、男はいつも考える。

大切なものができると、なぜこんなに怖くなるのだろう。

僕はいつも同じところで立ち止まり、苦しみ、前を向こうとして、またつまずく。

41歳、テレビ局のプロデューサーである井上は、ひとりの女と出会う。

彼女の名前はハナ、29歳。ひと回りも年下の女だった。

付き合っていたはずの彼の裏切りから未だ立ち直れず突然泣きだしたハナに、井上はどうするのか?


「…ハナ?」

井上が気づいた時、ハナはすでにぐしょぐしょに泣いていた。

「どうした?」

そう声をかけても、「何でもない」の一点張りで、とりつくしまもない。井上が言葉をかければかけるほど、ハナの目からは涙が溢れ出る。

大体、一目ぼれに近いかたちでハナに告白しているが、彼女に指一本さえ触れていない。鮨だの焼肉だのを散々食べさせたあと、家に度々出入りするようになってからも、だ。

だからハナにこうして泣かれると、井上は途端に困ってしまう。

今までだったら目の前にいる女が泣いたとき、何も言わずにただ抱きしめた。ぎゅっと抱きしめ、落ち着いたらゆっくり話を聞いてやること。

それがこの41年間、井上が信じてきたやり方だった。しかし目の前にいる女に、果たしてそれが通用するのだろうか。

それにもしここで彼女を抱きしめてしまったら、その後自制心が保てるか、自信がない。

だからいつものように、井上はハナにありとあらゆる言葉を投げかけた。

「井上さんてラジオみたい」

間断なく喋り続ける井上の話を、ハナはいつも目を輝かせて聞いてくれる。「うん」とか「ふふっ」とか、何てことはない相槌なのだが、心から楽しんでくれていることが手に取るように分かる。

しかし、今日はハナの大好きなラジオとしても、一向に機能しないのだった。

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