時刻は23時。元彼からの誘いは、悪魔の囁きか?
「いいよ。どこで?」
魔が差す、とはこういうことを言うのだろうか。
妹が帰ってしまったあとで寂しさを感じていた結衣は、そう返信していた。
お風呂上がりの状態から支度し直すのは大変だ。髪を乾かし、薄づきのBBクリームとフェイスパウダーを塗り込み、唇にグロスをのせる。
時刻は23時を過ぎていた。
―ここで祐也と会ったら、またダラダラと関係が続くかも…。
「今飲み終わって渋谷にいるんだけど、あとどのくらいで来れる?」
祐也は相変わらず身勝手だ。こんな時間に誘っておいて、当然のように結衣が自分のいるところに来るものだと思っている。
結衣は、グロスを塗る手を止めた。
せっかく引っ越して心機一転やり直そうと思っていたのに、これじゃ何も変わらない。
「ごめん、やっぱり行けなくなった」
すると、間髪入れずに着信があった。
「どうした?具合でも悪くなった?」
心から労わるような、優しい口調だ。どうしても欲しいものが手に入らなそうなとき、祐也はこれ以上にないくらい下手に出てくる。
焦って乾かした髪は中途半端に生乾きで、首筋に冷たくかかる。さっぱり洗った顔に塗ったファンデーションが、急に野暮ったく感じてきた。
私たちはもう、お互いに自分の都合のいいようにしか動けない関係性なのだ。結衣は、改めて痛感した。
「…お風呂から上がったところだから、やっぱり今日は無理」
そう言ってぷつりと電話を切った。
「何やってるんだろう…」
心の中で、そうつぶやきながら眠りについた。
◆
翌日、気分転換に目黒川をランニングした。目黒川沿いに中目黒まで走ると往復でちょうど3キロくらいだ。その距離を20分かけてゆっくり走る。
もうすぐ3月だというのに、まだ外は大分寒い。しかし、目黒川沿いには結衣と同じように走るランナーが何人かいる。
前から、この時期には珍しいナイキのショート丈のパンツで走る男性の姿が目に飛び込んできた。見覚えのあるその姿は、慶一郎だった。
「慶一郎くん?」
結衣は息を切らしながら、思わず声をかけた。
▶︎NEXT:3月3日金曜更新予定
最終回。慶一郎と結衣は急接近!?
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