ワセジョ・プライド Vol.1

ワセジョ・プライド:港区女子って本当にいるんですか?雑草魂で生き抜く美人ワセジョ

ワセジョの特徴「女のドロドロには一切関わりたくない」


久美子は小学3年生のときに福岡から東京へ引っ越し、その後は都内の公立中学・高校に通い青春時代を過ごした。中学・高校と6年間テニスを続け、成績も常にトップクラスだったと言う。

学生時代を振り返り、こう語る。

「高校は進学校だったのでいじめもないし、女の子のグループとかもありませんでしたね。皆サバサバ系。だから、今も女のドロドロは苦手。少しでも巻き込まれそうになったら、そういう人からは徹底的に遠ざかります。」

そして高校を卒業後、早稲田の中でも最難関と言われる政治経済学部政治学科に合格した。

家はサラリーマンの父と母、弟のごくごく普通の4人家族。大学合格を誰よりも喜んでくれたのは、専業主婦の母だった。母親は、地方の国立大学を卒業後、出版社に就職したが、出産を機に退職。その後は、建築会社勤務の父親を支えながら、子育て中心の生活を送っていた。

彼女が早稲田大学を目指したのは、母親の影響だったという。

「本好きの母に育てられたので、漠然とですがマスコミの道に進もうと考えていました。マスコミを目指すんだったら早稲田かなって。」

その母から常に言われていた言葉があったという。

「“雑草魂で生きなさい”、そう言われて育ちました。仕事を辞めた母はそれが悔しくて、どこでも生き抜いていけるたくましい女性になって欲しかったみたいですね。」

新歓コンパで思い知った、肩身の狭いワセジョ


大学に入り、国際ボランティアのサークルでの活動を中心に学生生活を楽しんだ。初めはテニスサークルの新歓コンパなどにも顔を出したらしいが、そこで苦い経験をしたと言う。

「インカレのサークルだと、ワセジョの肩身は狭いんですよ。本女(日本女子大)や東女(東京女子大)の子たちはちやほやされるんですけど、ワセジョは~って言われるとしらけちゃって。」

自由伸びやかな校風で知られる高校から一転、「今思えば初めて女性としてマウンティングされた」と語る。その光景を見て、テニスサークルを断念。国際ボランティアのサークルに入った。

「そこは早稲田らしい、サバサバした感じの子が多くて、男女問わず和気あいあいとやっている感じでした。マスコミや海外志望の人たちが多くて、皆で青臭いことを言いながら朝まで馬場で飲んだり、THE・早稲田という感じの生活を送っていました。」

懐かしそうに語った。

この記事へのコメント

Pencilコメントする

コメントはまだありません。

【ワセジョ・プライド】の記事一覧

もどる
すすむ

おすすめ記事

もどる
すすむ

東京カレンダーショッピング

もどる
すすむ

ロングヒット記事

もどる
すすむ
Appstore logo Googleplay logo