野心のゆくえ:失敗を糧にできるかの分かれ道。10年後を見据え、33歳が今やるべきこととは
「知らないかもしれないけどお前の料理のコース分は、このカードを使えば無料だから、気にするなよ。」
そう言って、砂田は嬉しそうに送りだしてくれた。
「なんすか、それ。」
翼は、涙がこぼれるのを止めるのに必死で、それだけ返すのが精一杯だった。
ー僕の分が無料になるなんて、知ってますー
ー僕はやっぱり”まだまだ”ですー
言いたい事は沢山あったのに、気の利いた一言も言えなかったのが、心残りとなってしまった。
砂田がいなければ、自分はどうなっていたか分からない。冗談でも大げさでもなく、翼は心からそう思っている。
―つい数日前のことなのに、随分昔のように感じるな……―
最後に砂田に会った夜を思い出し、しばしの感傷に浸りながら翼は成田空港のビジネスクラスラウンジを探していた。フライトまで余裕を持って空港に来たため、ダイナースクラブカードを見せると利用できるそのラウンジを使う予定なのだ。ラウンジに入ると早速、無料で飲めるビールを喉に流し込む。
―空港で飲むビールって、なんだか美味いんだよな―
多くの人が行き交うターミナルから離れ、ソファに深く座りこみ、静かな空間で味わう。新聞や雑誌も置いてあるが、今はあえて手に取らずゆっくりと瞼を閉じる。
これから始まる2年間の留学のこと、留学を終えて帰国する時の自分の姿……。そんなことに想像を膨らませて、フライトの時間を待った。
しばらくそうした後、時計を見てラウンジの出入り口へ向かった。その背中には、これから始まる新しい環境への期待が溢れている。
◆
アメリカへと渡った翼は、日本にいた時の数十倍も勉強に励んだ。
世界中から集まった、高い意識と知性を持つ者たちと議論を交わし、課題をこなす。英語力は飛躍的に向上し、知識量は猛スピードで増えていった。
日本に一時帰国する際は、砂田に会って情報交換も欠かさなかった。ダイナースクラブの手荷物宅配サービスを使えば、スーツケースを空港から指定の場所まで無料で運んでくれるため、帰国したその足でフットワークよく動けたのだ。
限られた時間を有効に使って、二人で夢中になってアメリカと日本のビジネストレンドを比較、分析し、意見をぶつけ合った。その時間があまりにも楽しく、再度日本から離れる時は、少しの寂しさを感じることもあった。
だが、そんな時は空港ラウンジに入って、ターミナルビルの喧騒から離れることで、なんとか頭を切り替えていた。ゆっくりと喉を潤しながら、再び始まる過酷な学生生活へ備えるのだ。
そんな事を何度か繰り返している内に、あっという間に2年が過ぎようとしていた。翼は刻々と近づいてくる帰国の日を、満を持して待ちわびる。彼の目には、3年前にはなかった、大きな野心の光が宿っていた。
次回、35歳になった翼は、日本で理想を実現しているのか……?