東京ネイティブ Vol.5

東京ネイティブ物語:芸人・品川祐の場合〜大阪には憧れるが、小田急沿線から離れられない〜

田舎のネズミは、「東京に生まれていたら、もっと華やかな人生になったはずだ」とボヤく。街のネズミは、「こんなゴミゴミした所じゃなくて、大自然の中でのんびり暮らしたかった」と愚痴る。

東京に生まれることは、いいことなのか、悪いことなのか。東京ネイティブたちが、生まれ育った東京を振り返る。今回は、お笑い芸人のほかに小説家や映画監督としても活躍する、品川祐さんにご登場いただいた。

都心で暮らす、恵まれた少年だった

金曜日の午前中、品川祐さんと小雨模様の三軒茶屋を歩く。天候のせいもあってか、人通りは閑散としている。週末の賑わいとは打って変わって、平日の三軒茶屋は静かだ。

「おっかしいなぁ、小学校3年から6年まで住んでいたマンションは、確かこのあたりなんですけど……」

そう言いながら品川さんは、世田谷通りから一本入った路地をさまよう。一歩踏み込んだ三軒茶屋は、狭い道が入り組むラビリンスだ。

「あった、あった! そうそう、ここです。1階が銭湯のこのマンション、ここから路地を抜けて、三軒茶屋小学校に通っていたんです。あの頃、向かいは貸本屋で、よくマンガを借りたっけなぁ」

物心ついた時、品川さんは代々木上原に暮らしていたという。そして小学3年の時に、三軒茶屋に引っ越した。

「大人になると(代々木)上原と三茶なんてタクシーですぐの距離じゃないですか。でも転校したせいもあって、小学生にとっては大移動だったんですよ。

しかも一戸建てからマンションに移って、いま考えれば戸建てのほうが広いんですけど、マンションがオートロックだったんで、スゲェなぁと。それから、転校生ってちやほやされて人気者になるんですね。いつの時代が楽しくないってわけでもないけど、三茶の時代は結構楽しい思い出が多いですね」

品川さんは、いまでも後輩芸人を連れて三軒茶屋に飲みに来るという。

「あの路地を入ったあたりですよ。カウンターしかないような狭い店でね、三茶の飲み屋は他のお客さんも、芸人がいるからって騒がないでほっといてくれるから気楽。一本道を入っただけで違う街みたいになっちゃうところは、昔もいまも好きです」


ここまでを読めば、東京の都心に生まれて幸せな少年時代を送った男の話だ。けれども品川さんの人生には、ここから強烈なドライブがかかる。

きっかけは小学6年で狛江に引っ越し、そこで中学へ進学する時に千葉県木更津市の私立中学を選んだことだった。

おばあちゃんのロールス・ロイスは防弾ガラス仕様

「小説の『ドロップ』にも書いたんですけど、漫画『ビー・バップ・ハイスクール』を読んで、不良ってモテるんだなと憧れたんです。不良になるとセックスができるんだな、って(笑)。それで私立の中学校から狛江の公立中学に転校しました」

狛江の公立中学で過ごした1年は、まさに『ビー・バップ・ハイスクール』そのものだったという。

「僕が中学生の頃の狛江なんて、いまの東京と全然違いますから。多摩川を渡ると神奈川なんですけど、神奈川のほうがお洒落だった。向こうはリーゼントなのにこっちはパンチ(パーマ)、みたいな(笑)」

そしてこの頃、品川さんは“新宿デビュー”をはたす。

「みんなでスーツを着てディスコに行ったんですよ。俺は1万円ぐらいで買える白いスーツを着て。15歳なのに(笑)。

ディスコにはヘンな踊りをしている女のコがいて、そのコの真似をして踊っていたら、そのコの連れにからまれてケンカになりそうになって(笑)。出禁だよって言われて、出禁ってなんだよ、みたいな」

当時の品川少年の勇姿は小説や映画の『ドロップ』から想像していただくとして、中学を卒業した品川さんは足立区の都立高校に進学する。

「両親は僕が小さい頃に離婚していました。母と暮らしていたんですが、高校に行くんだから挨拶してきなさいって母に言われて、父方の祖母と親父に会いに行ったんです(註:品川さんの御祖母は美容家の山野愛子さん)。

新宿御苑のものすごいでっかい家で、ベンツやらなんやらがずらーっと並んでいて。ロールス・ロイスにのっけてもらったら、防弾ガラスになっていて、おばあちゃんに防弾ガラスなんかいるのかなと思いました(笑)。

10万円だったかな、入学祝いをもらって、でも高校は1カ月で中退しちゃうんですけどね」

高校中退後、アルバイトで暮らしていた品川さんは、水商売で雇ってもらえる年齢になると、夜の新宿で働くようになる。漠然と、「将来は店でも構えて、新宿で生きていくのかな」と思い始めた頃、芸人を志すきっかけとなる仕事と、運命の出会いをはたす。

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