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  • 愛に泳ぎ疲れた女たちが、辿り着いた対岸とは?

    「毎日ね、『084』とか『5963』とかね。わかる?」顔中に、ハテナに埋め尽くされた春香に陽子がメモ用紙に書きながら解説する。

    「これがね『084』(おはよ)、『5963』(ご苦労さん)、『5110』(ファイト)。私は一回も返さなかったの。男性不信に陥っていたし、新入社員で毎日毎日クタクタだったし。

    それでも毎日入ってきてるとね、ある日お父さんが忙しかったのか連絡来ない日に寂しくなっちゃって。気まぐれというか、勢いというか、とにかく会社終わってすぐ駅の公衆電話から『724106』(なにしてる?)って送ったの」

    「ポケベルって、今でいうLINEみたいなもんなんだね。難しすぎるけど。」春香は初めて聞く両親の恋物語をじっと真面目に、なにか考え込むような様子で聞き入っている。

    「そうね。そしたらもう、一緒にご飯食べよう、って駅にすぐに飛んできてくれたの。で、久しぶりに会ったお父さんがね、ビシッとスーツを着こなしてて。精悍で、ちょっとグッときちゃって。ほらお父さん、体格いいし背も高いじゃない? 大学時代はTシャツとジーパンしか見たことなかったからびっくりしたわ。

    しかも、こんなに笑ったの何年ぶりかなと思うくらい、その夜が本当に楽しくて。おかげで、最低男といたときは心から笑えてなかったなって気づけたの。エスコートもなんだかスマートでね、こりゃあ女できたんだな、って思ったら、なんだか哀しくなっちゃった。

    2軒目のバーでね、お母さん、酔っぱらっちゃってね。『結局ね、男って、女だったら誰でもいいのよ。あなただって、私のこと好きなふりして、会わなくなったら、こんなに変わっちゃって!女なんかよりどりみどりなんでしょう』ってぶちまけちゃったの。

    お父さん、ずっと黙ってたんだけど『マスター、電話貸して』って、その場で電話をかけだすのよ。そしたら直後にポケベルが鳴って。見たら『114106』」

    春香はメモ用紙を引き寄せると、数字を書きとめた。
    「え? なになに? イイヨ???」

    「1は(あ)、その次の1は(い)、4(し)、10(て)、6(る)。『愛してる』、よ。」

    春香はギャアアァとソファに倒れ込む。

    陽子は笑いながら続ける。「それでね、え?ってお父さんを見返したら、『ずっと好きだった。結婚しよう』って。」

    「本当、人生ってなにが起こるか、わかんないね。お母さんの壮大なラブストーリーを一度に聞いたら、ドっと疲れちゃった。でも人生最悪な今日を、私もいつか子供に話せているかも、って思ったら、気がラクになったよ。

    今の悩みなんてその頃には小さなことかもしれないけど、一生懸命迷って選択し続けるっていうのが、人生なのかもね。とはいえ、うーん。辛い!」

    春香は自分の置かれた状況を思い出し、ガクッと肩を落とした。曲が変わり、また新しい歌詞が耳に入ってくる。

    ♩…君に逢いたくなったら…
    その日までガンバル自分でいたい
    これが最初で最後の恋に
    なればいいなと思う

    じっとそれを聞いていた春香が、大きく深呼吸をした。

    「お母さん、それじゃ、おやすみ。」

    陽子はおやすみ、と返そうとして春香を見た。まだ迷いはあるものの、なにかを決意したような、とにかくすぐにでも駆け出してしまいそうな表情をしている。陽子はあえて詮索しない。

    ベッドに戻った陽子は22年前のことを、またじんわりと思い出していた。そして眠りに落ちる寸前、春香が玄関のドアを開けて出て行く音が聞こえたような気がした。

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