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  • 愛に泳ぎ疲れた女たちが、辿り着いた対岸とは?

    「おかあさん?」

    ドアの向こうから春香の声が聞こえ、ふと我に返る。「おかえりなさい。遅かったわね」そう言いながら、リビングに入ると、顔を上げた春香がCDの歌詞カードを手にしているのが目に入り、隣に座った。

    「あなた、よくZARDなんて知っていたわね? これ20年以上前の曲よ」

    「へえ、私が生まれた頃の曲なんだ。でもすごくシンクロしてた、今。なんか今日さ、CDショップの前を通ったらこの曲が流れてて。今の気持ちにぴったりだなと思って……CDなんて買ったの久しぶり。はぁ……もうなんか何も考えたくないし、もうどん底すぎる私。今日、人生で一番最悪の日かも」

    「珍しいわね。どうしちゃったのよ、一体」

    「今日のOB訪問、最悪だった。先輩に時間を取ってもらってランチしたのね。で、エントリーシートを見せたら、鼻で笑われて。浅すぎるとか、こんなの企業研究じゃないとか、甘く見すぎてるとか。バックパッカーで旅行したからって、自立してて好奇心が強いとか、誰でも出来ること書くなとか。

    それでお店を出て先輩と別れたら、無性に広司に会いたくなっちゃって、電話したのね。そしたらちょうど今夜空いてたから、ご飯食べようってことになったんだけど、『ちょうどよかった、話したいことがあるんだ』って真剣な感じで言うのよ」

    「それってもしかして……! プロポーズされたの?!」。そう言ってはしゃぐ陽子。

    「と思うじゃん。まあ、こういう食事の“ついで感”も、広司っぽいじゃない?私たち17歳のときから付き合ってるんだし。ところがさ……。変に上機嫌にペラペラ喋ってばっかで、なかなか切り出さないから『話ってなんなの?』って助け舟を出したらね。すごく言いにくそうに、こう言うの。」

    広司の口調を真似しながら春香は話を続ける。
    「『俺、大手中心に総合商社を受けてるじゃん。でもこれでいいのかって、ずっと迷っててさ…』とか言いだして。

    しばらく黙って聞いてたんだけど、どうやら、ある会社のグアテマラ駐在員の募集を見つけたらしくてね。見た瞬間にこれだ!って思って、今日説明会行ってきたんだって。

    『小さい会社だけど、戦略的に中米に特化するって話がもう熱くてさ、本気で受けてみたいと思ってる』だって」

    「それって……」

    「うん、受かったら向こうに行っちゃうってことだよね。でも私とどうしたいのかとか、そこまでは言わないんだよね、あいつ。私は普通に就職して、ちょっと経ったら広司と結婚したいと思ってたし、このひと以外考えられないって思ってたのに」

    そう言うと、みるみるうちに春香の目には涙が溢れた。

    陽子は春香の隣に座り直し、肩をそっと優しく抱き寄せた。

    「なんか同じね、私たち。おかあさんね、大学生の頃、3個年上の先輩と付き合っていたのよ。4年間、ずっと。でもね、彼が就職して3年目、私もこれから卒業ってタイミング、しかもお正月よ。突然電話かけてきて『別れよう』って。

    何度も食い下がって、わたしの何がいけないの?って聞いたんだけど、そのまま連絡が全然取れなくなっちゃって。後で他の先輩に聞いたら、できちゃった婚してたって。」

    「え、最悪!ずっと二股かけられたってこと?」

    「そうそう。しかも私、浮気相手の方だったのよね」

    「ヒドすぎる!!おかあさん、可哀想。大学4年間を捧げたのに?!」

    「そうよ。いつか彼と結婚したいって思っていたから、そのときは人生最悪の日だと思った。でも今こうやって春香に笑って話せるんだから、どんなに最悪でも3年後にはどうでもいいことになってる、と思えば、結構ラクになれるわよ」

    「でも、じゃあ、お父さんとはなにがどうなって結婚することになったの?」

    「お父さんは大学の同級生なのは知ってるでしょ?当時私はそんなだったから、恋愛対象として見ていなかったんだけど、お父さんは入学した頃からお母さんのことが好きだったのね。それに気付かないふりして、いつも甘えていたんだけど。

    で、その先輩のことは同じサークルだったから瞬く間に知れ渡って、彼の耳にも入ったんでしょうね。だから、毎日毎日……」

    「電話?」

    「ポケベルよ。」陽子は思い出して、心底面白そうに笑う。

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