「ふたりのニコライ」―作家・柴崎竜人の恋愛ストーリー Vol.1

双子姉妹に征服された夜 「ふたりのニコライ」第一話

双子と出会ったのは

双子と出会ったのは、いまから二時間前、中目黒の立ち飲み屋『晩杯屋』だった。

はじめに言っておきたいのだけれど、それは以前に巨匠から教えてもらった居酒屋で、仕事終わりにふらりと立ち寄っただけだった。

「立ち飲み屋で飲んでる女子は、気さくで優しく、好奇心と冒険心が旺盛」

という巨匠のありがたいお言葉を思い出さなかったというと噓になる。なんせその少し前に、僕は食事の予定をキャンセルされていた。ようやくデートにこぎつけたアパレルショップの販売の子だったが、直前になって「ちょっと面倒くさくなっちゃって」というあまりにも正々堂々とした理由によってドタキャンされ、そのまま会社のトイレに引き籠もり、壁に頭をぶつけてしばらく世界を呪ってから、気を取り直して街に出たのだった。
僕には気さくで優しい話し相手が必要だった。

捨てる神あれば拾う神あり。あるいは、人間万事塞翁が馬とはよく言ったもので、僕はその居酒屋で高校の同級生の大崎夏帆と再会した。
卒業して数年経てば顔なんてどんどん変わっていくし、化粧を覚えた女の顔はとくに変化が激しいものだ。それでも僕が一目で大崎だとわかったのは、彼女の印象的な瞳が学年のアイドルだったころと、なにひとつ変わっていなかったからだ。
相手の考えをすべて見透かしているようにも、なにひとつ理解していないようにも見える瞳。

僕らは青春時代に必ずひとり、神格化された女生徒を学年にもつ。

男子生徒は授業中に飽きもせず彼女の背中を見つめ、いざ振り返れば悪戯書きばかりの教科書にあわてて顔を伏せる。女子生徒は彼女のファッションをつねに追いかけ、同じぶんだけスカートの丈を短くし、同じマフラーの巻き方を毎晩練習する。ただ彼女が身につける水色のマフラーだけは、彼女だけに許された神聖な色として決して誰もマネしない。

大崎夏帆は僕の高校においてそのような女生徒だった。

全学年の生徒はもちろん、教師も医師も用務員も彼女の名前を知っていた。
それほど目立つ女生徒であったにもかかわらず、彼女は派手な、自尊心の高い、女子高生型猛禽類のようないわゆるイケてるグループには属さなかった。ふだんは大人しい女子生徒たちと一緒に、木陰で草を食むように穏やかに弁当を食べていた。
まるで自分の美しさの価値に気づいていないか、あるいは友人の本当の価値に気づいているかのようで、その姿勢がまた男子生徒が抱く彼女の神性をより強固なものにした。

そういえば、僕は

そういえば、僕は学生時代に彼女と三回視線を合わせたことがある。

一度目は高校一年の英語の授業中。二度目は高校二年の二学期に南校舎の廊下ですれ違ったとき。そして三度目は、高校二年の三学期に、満員電車の中で足を踏んづけられたときだった。痛かった。事実、僕はそれで右足の小指を捻挫した。
でも、それまでいちども会話をしたこともないのに、足を踏まれただけで、僕は大崎のことが好きになった。十七歳。僕はそういう学生だった。

「ごめんなさい」

足を踏んだ直後に、大崎はこちらを見あげた。

そのひと言で、僕の心は盛大に血しぶきをあげた。満員の電車内が自分の血煙で曇って見えた。大崎のひと言が僕の耳には、

「(そんなことないと思うけど、身の程知らずにももしあなたが告白してきたときには結局言うことになるから、いまのうちにまとめて言っておくね)ごめんなさい」

に聞こえたのだ。僕はとくべつな耳を持っていた。そういう学生でもあった。心の出血多量で気絶しかかっている最中の僕は「どういたしまして」とか訳のわからない答えをしたと思う。揺れた大崎から髪から、甘いシャンプーの香りがした。


つまるところ、僕は学校のアイドルと視線を合わせた回数をいつまでも覚えているような、高校生活を送っていた。
読書研究会という校長でさえ存在を知らないマイナーな部活に属していた僕は、脳内失恋した部分だけをそっくりのぞいて、その日の事件を全二名の部員に語った。「なんと、神と目を合わせたとな!」と部員たちは僕の勇気に驚愕し、それ以降彼らは「神の足置きに選ばれた男」として僕を崇めた。

当時、大崎のシャンプーの香りがする笑顔に魅了され、何人の強者どもが果敢に彼女に挑んでいっただろう。
その中にはサッカー部のキャプテンもいれば、テニス部のエースもいた。野球部なんてフラれた男たちだけで打線を組んで甲子園を目指せるような有様だった。有名私立大に推薦入学が決まっているイケメンもいたし、噂によれば複数名の教員までもが大崎に愛を告白したという。だが、誰ひとりとして彼女の笑顔を占有することはできなかった。
ことごとく返り討ちに遭う勇者たちの屍を見て、男子生徒たちはその凄惨な光景を大崎無双と呼ぶようにまでなった。僕は心のなかで彼らの墓標に水色のマフラーをかけて回った。

大崎夏帆という伝説

大崎夏帆という伝説をご理解していただけただろうか。そんな大崎が偶然再会した僕の名前を、というか存在自体を覚えていたことは、じゅうぶんに僕を動揺させた。もしかしてこいつ、僕のことを好きなんじゃないかと思った。思ったけれど、そんなことが二の次になるほど、僕は混乱もしていた。自分の目が信じられなかった。

それは「彼女」が「彼女たち」だったからだ。

「大崎」ではなく「大崎たち」。

再会した大崎は目の前に二人いた。大崎夏帆は、双子だった。

十代はお互いに別の中学高校へと通っていたというので、僕が知らないのも無理はない。目の前の二人は目元がそっくりで、そのどちらも、黄金時代の彼女を思い出させた。実際、僕にはどちらが同級生の大崎なのかわからなかった。僕が混乱しているのを知ると、彼女たちは面白がって、あえてどちらが大崎夏帆なのかを教えなかった。もちろん僕は困った。名前がわからなければ、会話に不便だ。僕が文句を言うと、「しかたないなぁ」と二人は高校時代から変わらない謎に満ちた瞳で笑った。
「じゃあ、今夜はあだ名で呼んでね」

一人はモナコと名乗り、もう一人がニースと名乗った。

どちらの街も、僕は訪れたことがなかった。

つづく。

立ち呑み 晩杯屋 中目黒目黒川RS店
東急東横線「中目黒」駅から徒歩2分、駅前の目黒川近くの高層ビルの一階にある。夕方になるとお洒落カップルやサラリーマンで賑わう。女性同士で来る客も多い。
住所:東京都目黒区上目黒1-26-1 中目黒アトラスタワー1F
TEL:03-6303-2828

柴崎竜人(しばざきりゅうと)
小説家、脚本家
1976年東京都生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。東京三菱銀行退行後、バーテンダー、コンセプトプランナーなどを経て、2004年「シャンペイン・キャデラック」で第11回三田文学新人賞を受賞し作家デビュー。
映画「未来予想図 〜ア・イ・シ・テ・ルのサイン〜」、ドラマ「レンアイカンソク」など脚本も多数手掛ける。近著『三軒茶屋星座館』は文教堂 三軒茶屋店で10週連続ランキング1位を記録した。2014年12月、柴崎竜人の新境地を拓く最新刊「あなたの明かりが消えること」発売中。


撮影協力/姉・大文字春奈(トップ写真右)、妹・大文字希望<フジプロダクション所属>現在、双子で活動中

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