ドクターたちの恋愛事情 Vol.3

医師の恋愛事情〜二軒目の展開に揺れる下心と恋心〜

席についてシャンパンで乾杯をした。
ルイナールのブラン・ド・ブラン。麻里は、美しいフォルムのボトルから静かに注がれるゴールドの煌めきを見つめ、健太郎は、シャンパンを見てるふりをして、麻里の目を盗み見る。

改めて見るとやはり特段ものすごい美人というわけではないが、目の前の相手の目をじっと見据える大きな目と、突拍子もない発言が次々に出てくる少し肉厚で上品な唇から目が離せない。

女の色気は頭の中身に比例すると聞いた事があるが、こういう類の女性は、頭の中の思考や価値観が魅力的なのだろう。

『セララバアド』は、6,800円のコース1本で計12品。まるでアートのような料理に麻里は、「すごい!」「美味しい!」など、感嘆詞のオンパレードで健太郎を喜ばせる。特に、代表的な料理の根セロリの折り鶴には、料理に手をつけずにひとしきり眺め、スマホを取り出して写真を撮り子供のようにはしゃいでいた。

健太郎は、もっと彼女のことを知りたくなり仕事についての質問をする。麻里は、小さな子供に怖い話をするように眉間に皺を寄せる。くるくると変わる麻里の表情に、健太郎は目が離せない。

「営業だからねぇ、便利やさんみたいな感じだよ。現場では、クライアントのご機嫌を伺って、タレントのご機嫌を伺って、板挟みでもう大変。」

「へぇ。忙しそうだねぇ。そんな忙しくて彼氏とは順調なの?」

彼氏の有無について直球で聞いてみるのが怖くて、緩衝材を用いたクエスチョンをぶつけてみた。ポーカーフェイスを装った顔の皮を剥げば、もう一枚、分厚い緩衝材が必要なくらい内心バクバクだ。

そんな心いざ知らず、麻里はにこやかに笑う。

「ご名答。忙しすぎちゃって、全然ダメ。彼メーカーの研究職だから、定時に終わるんだけど、私は、そこからが本番。すれ違いばっかりで彼のストレスも限界なんだろうね。」

ーやはり、右手の薬指のリングは、ペアリングか・・ー

少しの落胆はあったものの、終焉のレクイエムがなっている状況に少しだけ喜んだ。

そして、忙しそうな彼女の気持ちも痛いほどわかった。

医者とて、同じこと。回診と病棟業務。週に一度の外来は、昼も食べれずトイレもままならない。やっと終わったと思ったら、救急からの連絡や、病棟で急変対応を迫られたり面倒な患者が騒いでいたり。定時を過ぎても、当直があればそこからまた急患対応。当直では、ただの風邪なのに、深夜に大袈裟にみてくれって、仏の心も鬼になりそうな忙しさだ。

労働基準法完全無視の過酷な仕事の前に、過去結婚を考えた女性もいたが、長くは続かなかった。お医者さまなんて呼ばれても、愛する女性の泣き顔を見たら、目の前の見知らぬ患者の苦しい顔なんて放り出したくなる。それでも、逃げられないのがこの職業。

「そっかぁ。好んで忙しくしてるわけじゃないのにな。」

健太郎は自分自身を回顧して心からの同意の言葉を発したが、思いのほか声色は暗く響き、麻里は驚いたように、健太郎の顔を見た。

「健太郎さんって、この世の春を楽しんでるだけじゃないんだね」

失礼なことを言う女だなと思ったが、それよりも麻里に同志と認めてもらえた気がして嬉しかった。

目の前でケラケラと笑う麻里のグラスが空になりそうだ。代理店の営業だけあって、お酒には強いらしい。
気づけば22時を過ぎていた。二軒目はどうしたものか。いつもならスマートに言える言葉が麻里を目の前にするとなるとなかなか出てこないが、さも自然に今思いついたように綿密にプランニングした店を提案する。

「二軒目どうしようか。ここからならニューヨークバーとかも近いし、どうかな?」

すると麻里は、面白そうにからかう。

「健太郎さん。女がみんなあの夜景見せれば落ちると思ってるでしょう?もっと突拍子もない提案しなきゃ競合プレゼンに負けちゃうよ。」

内心むっとしつつも、当たっているだけに何も言えなかった。間髪入れずに麻里が言う。

「ちょっと遠いけどね、うちの近くの『オーギャマンドトキオ』の跡地にできた『酒肆 ガランス』ってお店が面白そうで。」

うちの近くというキーワードから、麻里が白金高輪あたりに住んでることを知る。そして、家の近くの店を指定してくるということの真意を解読しようと頭をフル回転させた。これまでやや劣勢だったのは否めないが、この波をうまく乗りこなして二軒目、ひいては、その後のビッグウェーブに繋げることは果たして可能なのだろうか。

「『noma』でも注目の食材「蟻」をまぶしたグリッシーニをつまみながらインドワインとかね。全部経験したことないでしょ?ちょっと付き合ってくれない?」

蟻という斬新すぎる提案に、先ほどまでの高ぶる波がさっと引いた気がしたが、ここで引いては男が廃る。色っぽい展開に期待していないと言えば嘘になる。麻里の魅惑的な唇から紡ぎ出される言葉だけではなく、そのものを味わってみたいと思うのは健全なことだろう。

しかし、それよりも麻里をもう少し独占できることが純粋に嬉しかった。

会計を済ませて外に出ると、出会った頃より一段濃くなった緑の匂いが住宅街を満たしている。

その空気をいっぱいに吸い込み、健太郎は、これから始まるいつもと違う夏の始まりに心をときめかせた。


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