私の諦めの気持ちとは裏腹に、亮さんからはすぐに折り返しの電話がかかってきた。
『ごめん、打ち合わせ中だった。真理恵、何かあった?』
電話越しの亮さんの息が上がっている。きっと、静かな場所を探して移動してくれたのだろう。
無視してごめんなさい。ちゃんと話せばよかった。
まず最初に、そう謝ろうと決めていた。
それなのに、久しぶりに聞いた亮さんの声はあまりにも普段どおりで、先に別の言葉が出た。
「何もないよ。忙しかったら大丈夫」
「そういう意味じゃないよ」
電話の向こうで、亮さんが短く息を吐く。
「連絡がなかったから、どうしたのかなと思って。ほら。真理恵って、いつもだったらすぐ返事くれるから」
連絡がなかったから?それを、亮さんが言うの?
またしても、いい知れない感情が溢れ出る。父の黒い手帳が、手の中で硬い感触を返す。
怖かった。ここから先を言えば、関係が壊れるかもしれない。
でも、言わないままなら、私はまた同じ場所で待ち続けることになる。
「ごめんね。でも…」
「でも?」
「なんだか私、自分には亮さんしかないような気がしちゃって。自分が、亮さんのことを待ちつづけることしかできない、つまらない人間に思えてきちゃって…。
亮さんのペースにずっと合わせ続けるのは辛いから、だから、返事できなかった」
言ってしまった。
夜の道路を走る車の音だけが、耳に入る。
亮さんはすぐには答えなかった。
「ごめん」
やがて聞こえた声は、いつもの軽さを少しだけ失っていた。
「そう思わせちゃってたなら、俺が悪い」
拍子抜けするほど素直な謝罪だった。
だから、もしそこで終わっていたなら。私はたぶんまた、“大丈夫”と言って笑っていたのだろう。
だけど、亮さんは続けた。
「こっちから連絡すればよかったね。イベントの日にさ、真理恵が仕事の話してる時、すごく楽しそうだった。だから、公募前で忙しいのかなと思って邪魔しないようにしてたんだ」
「そうなんだ」
声が震えた。やっぱり理由は自分でも分からない。
だけど、これだけは確かだ。
父の手帳に背中を押されてかけた電話だというのに、会話の進む先に出口が見えない。
だって、亮さんの口から出る言葉はすべて、私がこれまでしてきた我慢の肯定に他ならなかったから。
「私はいつも、忙しい亮さんの邪魔をしたくないから、何も言わないようにしてたの」
「うん」
「それで亮さんは、今度は私が忙しそうだから連絡しなかった」
「…そうだね」
「でもさ、私別に、忙しいから連絡できないわけじゃなかった」
電話の向こうからは、長い沈黙だけが聞こえていた。
「私ね、今こうして電話した理由は、『本当は、もっと私を優先してほしい』って伝えるためだったんだ。
だけど、やっぱりそれは難しいのかなって思う。だって亮さんはやっぱり、『忙しい時は、連絡は取り合わないほうがいい』って思ってるってことだから」
言いすぎたかもしれない。悪いのは、別に忙しくもないのに1週間も無視をした私で、亮さんは何も悪くない。
言った側から、とてつもない後悔の気持ちが押し寄せる。
「ごめんなさい。でも、無視したのはワザとじゃなくて――」
「謝らなくていい」
慌てて弁解をしようとする私の言葉は、亮さんの遮った。
「真理恵の言うとおりだから。俺、行動すれば伝わると思ってた」
その言葉に、これまでの亮さんの姿を思い出す。
公募の資料を集める。深夜でも顔を見に来る。レストランを探す。
亮さんはいつも、言葉の代わりに行動する。
そして私はその行動に何度も救われ、それから、同じだけ取り残されてきた。
「ごめん真理恵。俺、いま何て言えばいいか分からない」
「……うん」
「でも、分からないまま適当なことを言いたくない。少し考えてもいい?」
その言葉に、胸が冷えた。
待つことをやめたくて本音を言うつもりだったのに…私の失態のせいで、返ってきた答えは“少し待って”だった。
「うん、分かった。大丈夫」
反射的にそう答え、唇を噛む。この期に及んでこんなセリフしか言えないのなら、そもそもこんな電話なんてすべきじゃなかったのかもしれない。
「公募、いつ?」
電話を切ろうとした時、亮さんが聞いた。
「来週の金曜10時」
「分かった」
それだけ言って、通話は終わった。
亮さんとの関係が、初めて本当にペンディングになった気がした。
― 通話時間、7分と42秒。
父の手帳を抱えながら、「そんなに短かったんだ」なんてどうでもいいことを考えて、私は夜道に立ち尽くすしかできなかった。
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本音をぶつけたまま、ペンディングになった亮との関係。どん底の中で迎えた社内公募のプレゼン当日…。






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