SPECIAL TALK Vol.144

~日本女子テニスをもう一度強く。世界での経験をもって後進育成に励みたい~


テニスとの出合いは「親についていった」


金丸:早速ですが、お父様やお母様はテニスをされていたのですか?

伊達:趣味程度です。私は京都生まれで、引っ越した先の近くにたまたまテニスクラブがありました。小学校1年生のとき、両親が健康のためにふたりでそこに通い始めて。私も学校が早く終わるので、親についていったのが、テニスに出合ったきっかけです。

金丸:たまたま近くにテニスコートがあったことが、伊達さんの運命を決めたんですね。そういうきっかけだと、ご両親には伊達さんをテニス選手にしようというお考えは?

伊達:まったくなかったですね。

金丸:ご両親とも身体を動かすのは好きだったんですか?

伊達:父は山登りとスキーが好きでしたね。みんなでアクティブに体を動かすことが好きな家族でした。

金丸:伊達さんは、子どもの頃から運動神経が良かったのですか?

伊達:悪い方ではないと思います。運動会の短距離走はだいたい1番だし、持久走でも男の子を含めて3番目くらいには入っていたし、二重跳びもすぐ跳べて、跳び箱も6段がすぐ跳べて。何をやってもそれなりにできるタイプでした。

金丸:やはり運動神経が抜群ですね。テニスをやってみて、どうでしたか?

伊達:すぐハマりましたね。1球返しただけで褒めてくれるし、ラリーが続くようになれば、自分がうまくなっていることを実感できる。単純にテニスがすごく楽しかったんですよ。

金丸:お話を伺っていると、子どもの頃からいろいろなことに触れたり、楽しさを感じることの重要さがよく分かります。

伊達:それに、テニスコートだと、遅くまでいても「帰ってきなさい」と言われなかったんです。学校の校庭や公園で遊んでいると、5時過ぎたら帰るように言われていたのに(笑)。

金丸:なるほど、いつまでも遊んでいられる(笑)。伊達さんが全国的に注目されるようになったのは、いつ頃ですか?

伊達:私、高校2年の秋に、急にガーンと強くなり始めたんです。そこからは高校レベルでは、もう負けなくなってしまって。それまで誰も知らない存在だったのが、ある日突然出てきて注目を浴びる、という感じでした。

金丸:「彗星のごとく」ですね。それまでずっと努力を続けて、コツコツ積み重ねてきたものが、あるタイミングで一気にブレークスルーしたと。

伊達:指導者の立場としては、ブレークスルーを待てるか、ブレークスルーが来るのを見抜けるか、がすごく大事だなと感じています。

金丸:私も経営者として後進を育てないといけないのですが、基本的にせっかちなので、若い人の成長を待てるか、日々試されているように感じています。

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