深夜1時のペンディング Vol.2

忙しい彼の短文LINE。「会いたい」の一言を飲み込む31歳女の葛藤

有栖川匠

「深夜に呼ばれて、半年記念日はドタキャンされて、ラウンジの写真一枚で終わり〜!?」

馴染みの中目黒のワインバーに、大きな声が響き渡る。

「ちょっと美緒!声が大きい」

「ごめんごめん。でもさぁ〜」

深いため息をつき、ここにいない仮想の亮さんを睨みつけるのは、美緒だ。

「ドタキャンじゃないよ。前の週には教えてもらってたし」

「一週間前なら傷つかないの?」

「そういう話じゃなくて」

「ねえ〜、それ彼氏なの?時差のある上司じゃなくて?」

言い方がひどすぎて、思わず笑ってしまった。


美緒は、父の妹の娘で、つまりは私のいとこだ。

同い年だし家も近くて、幼い頃から姉妹のように育った。口は悪いけれど、私が本当に苦しい時には誰より早く気づいて、こうして私の代わりに悪態までついてくれる。

「彼氏だけど、まあ確かに、仕事のことはちゃんと見てくれてるよ」

「出た、真理恵の謎のノロケ」

「この前も、私が気に入ってたシャンパンの銘柄を覚えてくれてたし。社内公募を受けようか迷ってる話も、ちゃんと聞いてくれた」

「だからさぁ。それ、恋愛じゃなくて育成じゃない?それが本当に嬉しいの?」

「はあ…。美緒までそんなこと言う」

「他に誰がこんなこと言うのよ」

私は、昼休みの健吾くんとの会話を話した。美緒は赤ワインを一口飲み、少しだけ楽しそうに眉を上げる。

「後輩くん、いいところ突くじゃん」

「やめてよー。健吾くんは、会議が何回か一緒になったことあるくらいで、亮さんのこと何も知らないんだよ」

「知る必要ある?後輩くんが見てるのは、亮さんじゃなくて真理恵でしょ」

その言葉に、グラスを持つ手が止まった。

『俺なら――』

健吾くんが言いかけた言葉がふと頭の中に蘇ったけれど、まさか、そんなはずはない。

美緒だって、健吾くんは私の努力する姿を目の当たりにしている、という意味で言ったのだ。自意識過剰な発想が恥ずかしくなって、私は慌てて話題を亮さんに戻す。

「そりゃ私だって、亮さんに可愛く甘えられたらいいなーとは思うけど。でも…」

「でも?やっぱり上司には甘えられない?」

「でもさ。忙しい人に『会いたい』って言うの、どうしても苦手なんだよね。それが好きな人だと、特に」

口にした瞬間、黒い革の手帳が頭をよぎった。土曜日の欄の訂正線。その隣に書かれた、私の名前。

「……おじさんのこと?」

美緒は冗談をやめた。私は答えず、ワインを飲んだ。

美緒も、それ以上は聞かなかった。その代わりに、静かに答える。

「人の予定を大事にすることと、自分の気持ちを無視するのとは、違うでしょ」

「分かってる」

「分かってる女は、半年記念日に着るはずだったワンピースを未練がましく見つめ続けたりしない」

何も言えなくなった私に、美緒は「今日は飲みな」と新しいグラスを頼んだ。

「亮さんのこと、好きなんだよね」

唐突に確認され、私は答える。

「好きじゃなかったら、こんなに悩まないよ」

「じゃあ、模範解答やめたほうがいいと思うけどな。私は、真理恵の好きな人に、ちゃんと真理恵のこと知ってもらいたい」

「模範解答?どういう意味?」

「模範解答は模範解答だよ。『大丈夫』。『仕方ない』。『応援してる』。忙しい男にとって都合のいい回答。真理恵のLINE、AIみたい」

昼間、健吾にも似たことを言われた。正しい理由ばかり探している、と。

「そんなこと…」

と言いかけた言葉を、ワインと一緒に飲み下す。

違うと言い切れないことが、なぜだかものすごく悔しかった。


店を出たのは、23時を少し過ぎた頃だった。

亮さんからの連絡は、空港の写真以来ない。

シンガポールと東京の時差は1時間だから、向こうは今は22時過ぎだ。ショートスリーパー気味な亮さんがもう眠ってしまっているとは思えなかった。

『打ち合わせ、どうだった?』

送ろうとして、消す。

『いつ帰ってくる?』

それも消した。

聞けばいいだけなのに、返事が来なかった時の自分を想像すると、どうしても送信できない。

スマホをバッグにしまい、タクシーの窓に額を寄せる。流れていく東京の灯りはどれも、私以外の誰かにとっての待ち合わせ場所に見えた。

田町のオフィスから私の住む目黒のマンションまでは、タクシーで15分ほどだ。

郵便受けも覗かずに、オートロックのエントランスを通り抜ける。夜の間は少し明かりが落とされ静まり返った内廊下を歩きながら、今度こそ亮さんに伝えようと思った。

寂しかった。

半年の日を楽しみにしていた。

写真1枚でご機嫌取りができたと思わないでほしい。

醜く渦巻く私の本当の気持ちを、美緒が言う“模範解答”にならないギリギリの清潔な言葉に整えようともがいていた、その時。

バッグの中でスマホが震えた。

― もしかして、亮さん?

今度はどんなLINEだろう。「おやすみ」の一言?それとも、ホテルの部屋の写真とか。

取り出したスマホは、送り主がやっぱり亮さんだったことを示していた。

画面に『亮さん』の字が光っているだけで、暴走しかけていた黒い気持ちが小さく折りたたまれてしまう。やっぱり、“好き”は私を弱くするらしい。

だけど、メッセージを開いた瞬間。私の胸に沸き起こってきたのは、ただただ甘美な喜びの気持ちだけじゃなかった。

手の中のスマホに、短いメッセージが光る。

『今、家の前』

「…え?」

歩く足を止める。

スマホから視線を上げる。

廊下の先。自宅のドアの前に、見慣れた濃紺のコートが見えた。


▶前回:ドタキャンに深夜の呼び出し…。33歳商社マン彼氏との恋に未来はありますか?

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帰国するなり、突然現れた亮。会えた喜びと怒りの間で、真理恵は初めて「会いたかった」と口にするが――。

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深夜1時のペンディング

有栖川匠

恋愛には、待つことが付き物だ。

会える日を待つ。返事を待つ。言葉にしてくれる瞬間を待つ。

けれど、待たされ続ける時間は、愛ではなく不安を育てる。

相手を尊重することと、物わかりのいい女でいることは、とても間違えやすいから

──恋人を遠くに感じる深夜1時の恵比寿の空は、いつもより暗くなる。

これは、保留ばかりの恋と人生をもう一度動かし始めるための、恋愛のリスケの物語。

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