平日は助かる。週末と違って、出社の予定があるのが救いだ。
「さ、私も今日は打ち合わせ三昧だ!」
そんなふうに息巻いて出社したものの、時間ができるとどうしても考え込んでしまうのが我ながら情けない。
― 自撮りですらないんだもんなぁ…。
ランチの時間になり、カフェテリアでまた亮さんからの写真を見返す。
空いている右手でサンドイッチに手を伸ばそうとしたその時、背後から声がした。
「飯島さん。どうしたんですか?大きなため息ついちゃって」
振り向くと、そこにいたのは後輩の竹峰健吾くんだ。トレーを持ったまま、私のスマホ画面を興味深げに覗き込んでいる。
「ちょ…勝手に見ないでよ」
反射的にスマホを伏せると、健吾くんは「すみません」と言いながら、まったく悪びれずに向かいの席へ座った。
理系院卒で入社してきた健吾くんは、私と歳は同じだけれど2年後輩になる。同い年なのだからタメ口でいいと言っているのに、頑なに敬語を使い続けるのは、彼なりの“仁義”というやつらしい。
数字と現場に強く、資料の体裁より先に、工場で本当に作れるのかを確かめる。派手さはないが、彼に任せた仕事は滅多に手戻りしない。
時間にも正確だ。今日も約束の12時半より3分早く来ている。
亮さんとは、何もかもが反対なのだ。だからこそ健吾くんは、今ではすっかり亮さんとの悩み相談の窓口みたいになっているのだった。
「で、許したんですか?」
「許すも何も、仕事なんだから仕方ないでしょ」
「でも、半年記念日のレストラン、キャンセルしたんですよね。そのお詫びがチャンギの写真1枚って」
温かいお蕎麦のつゆを飲みながら、健吾くんはさも当然のことのように言う。
「飯島さん、その日のためにずっと残業前倒ししてたのに。ダメですね」
胸の奥を触られたようで、私は箸袋を破る手に力を入れた。
「亮さんだって、遊びで行ったわけじゃないよ。商社の案件と、自分の会社の海外展開が重なってるの。急に呼ばれることもあるでしょ」
「別に俺、彼氏さん…神崎さんの悪口言ってませんよ」
「じゃあ何?」
「飯島さんが寂しくないふりをしてるのが、ダメですねって言ってるんです」
カフェテリアのざわめきが、一瞬だけ遠くなった。
健吾くんは普段、人を追い詰める言い方をしない。基本的に人当たりがいいし、逃げ道を作るのがうまいのだ。
そんな健吾くんが、なぜだか今日は逃がしてくれなかった。
「してないよ、そんなふり」
「じゃあ飯島さんは、その写真見て嬉しかったですか?」
「それは…」
答えられなかった。
もちろん、連絡が来たことは嬉しい。忙しい合間に私を思い出してくれた。亮さんなりの優しさだと分かっている。
でも…写真の中にあるのは、純度100パーセントの亮さんの世界だ。そして、その世界の中に、私の居場所は見えない。
「飯島さんって、神崎さんのことになるとなんか…正しい理由ばっかり探してますよね」
「正しい理由?」
「忙しいから。仕事だから。悪気はないから。そうやって正しい理由を見つけて、自分は傷ついてないってことにしてるんです」
言い返したかった。健吾くんに、亮さんの何が分かるの、と。
でも、亮さんの何を知っているのかだなんて、私だって答えられる自信がない。
シンガポールで誰と会うのかも、どこに泊まるのかも、帰国便の時間さえ知らなかった。
「俺なら――」
健吾くんはそこまで言って、口を閉じた。
「何?」
「いえ。仁義間違えたんで気にしないでください。今のは、後輩が言うことじゃないんで」
「?さっきから十分、後輩が言うことじゃないことばっかり言ってると思うけど…」
午後の会議で、健吾くんはいつも通りだった。私の曖昧な試算をさりげなく補い、工場側から出た厳しい質問には、先回りしてデータを示してくれる。
会議の議題は、例のウェルビーイング家電のユーザーテストだ。かつて亮さんに「御社で通しやすい商品」と切られた企画を、私はまだ諦めていない。
「この機能、本当にユーザーが毎日使いますか?」
部長の問いに答えようとした時、健吾くんがテスト結果のグラフを映した。
「使用率は低いです。ただ、使わなかった理由を分けると、機能そのものより初期設定の複雑さが問題です。飯島さんが提案している導線変更なら、再検証する価値はあります」
私の企画をかばうのではなく、数字で前に進めてくれる。会議室を出た後に礼を言うと、健吾くんは「正しいと思っただけです」と肩をすくめた。
亮さんも、健吾くんも、私の仕事を軽く扱わない。なのに、2人の優しさは、どうしてこんなに違って見えるのだろう。
会議後、修正版のファイルと一緒に短いメッセージが届く。
『俺の自撮りでよかったら、いつでも送ります。』
優しい人だと思う。こういう人と付き合えば、待つ時間は減るのだろうか。
そんなことを一瞬でも考えてしまった自分に驚き、私はすぐに健吾くんに返信する。
「資料ありがとうございます。自撮りは、ふ、よ、う、で、す…っと」
そして、健吾くんに冗談交じりのメールを返してしまったあとは、スマホを取り出して簡単なメッセージを送信した。
『今夜、飲めない?中目黒で』
なんだか今夜はひとりで過ごしたくない。そんな時はいつも、こうして声をかけるお決まりの相手がいるのだ。






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