「グルーミングという言葉をご存知ですか?」
「はい、なんとなくですが」
「元々は手入れや毛づくろいを意味しますが、心理学や犯罪学では、信頼関係を悪用して相手を手なずけ、支配下に置くプロセスのことです。
対象者を心理的に孤立させ、自分しか頼れない状況にじわじわと追い込んでいく手法として知られています」
佐藤はまたリモコンを操作し、別のスライドを表示させた。画面には、真壁リオと所属タレントたちの親密そうなツーショットや、合宿先と思しき広間で、お揃いのパジャマ姿でふざけ合う写真などが次々と浮かんできた。
「デビューという目標の元に集まった若者たちは、夢を追いかける日々の中で、常にその夢は叶わないのではないかという不安とも闘うことになります。真壁さんはそんな彼女たちの『良き理解者』として振る舞う。
親や友達にも話せない悩みを夜通し聞き、時には高価なプレゼントを贈り、『あなたの才能は私だけが分かっているから』と、唯一の理解者として振舞う。そうやって彼女たちの心を徐々に侵食していき、そのうちに――彼女たちは真壁さんに依存する。やがて真壁さんの言うことは全て正しいのだと信じてしまう」
「…だから、抵抗できなくなる」
絞り出したかのように掠れたともみの声に、佐藤は首を傾げる。
「抵抗する気がなくなる、という方が正しいでしょう。それは陶酔であり、洗脳に近いです。真壁さんの言葉こそが、自分の意志だと思えてくる。だから親に美容整形を反対されて手術をやめる、のではなく、手術の同意書に親のサインを偽造してでも、真壁に薦められたとおりに顔を変えることを選ぶ。それが『自分のため』だと信じきっている」
息苦しさにともみは自分が呼吸を忘れていたことに気づく。大きく息を吸い込むと、膝の上で握りしめた拳を見つめる。あの頃のYUMEもそうだった。アイドルデビューをひたむきに夢見て、憧れの真壁に言われるまま顎を削ったのに――歌えなくなるとあっさりと捨てられた。
「私がいた頃より、酷くなっている気がします」
「人は慢心するものですよ。真壁さんはまだ30半ばという若さで、巨万の金を動かすヒットメーカーになり、今や彼女をたしなめられる存在はいない。彼女にとって歌う才能こそが最も尊いもの。その器としてのルックスは“世の中に分かりやすく好まれる形”に変えてしまえばいいわけです。
だから簡単に整形をすすめる。違法であるはずなのに、自分には法律が及ばないと自惚れきっている。まるで全能の神か仏かにでもなったかのようなふるまいですが、幸か不幸かその方法で今まで成功してきてしまった」
「整形のリスクはどうでもいいと…?」
ともみは唇をかみしめる。歌えなくなったと絶望した16歳のYUMEの泣き叫ぶ顔、声が鮮やかに浮かび上がってくる。佐藤がちょびちょびとコーヒーを啜ってから続けた。
「自分の全てを掛ける覚悟がないなら、エンタメの世界で成功する一握りにはなれない」
「…え?」
「真壁さんが、迷いを見せた子たちを鼓舞するために良く使うフレーズだそうです。一見、耳障りはいいですが、整形を躊躇する子たちには、整形の失敗に怯えるくらいの覚悟しかないなら、この世界では勝ち残れない、というニュアンスに聞こえるようで…整形を決断する。しかも、自分の意志、としてね。
いやあ、敵ながらあっぱれですよ。口が上手いというよりは、肝心なことを口にせずに誘導する、詐術…マインドコントロール術にたけている。いやぁ、恐ろしいったらありゃしない」
ねえ、とふざけられても、ともみは笑い返すことができなかった。夢を餌にして、少女たちの心身を容赦なく支配し、削り取る。その卑劣で傲慢な手口に胸をかきむしりたくなるほどの憤りがこみ上げる。
「本当に…もう終わせないと。これ以上の犠牲者が出る前に」
フッと、佐藤が吹きだした。ともみが目をひそめると、からかうような視線にからめとられる。
「正義の味方にでもなったつもりですか?」
「…え?」
「あなたは、ご自身…というかYUMEさんの復讐のために私を雇ったんですよね」
「そうです。でも、今の子たちのことも見過ごすわけには…」
「大事なことを忘れないでください。この子たちにはこの子たちの選択がある。夢を叶えるためなら悪魔に魂を売る覚悟すらあるのかもしれません」
「でもさっき、佐藤さんもグルーミングだと…」
「それは資料を分析した私の推測にすぎませんし、そうだとしても私たちに彼女たちの人生を壊す権利などない」
「壊す?壊すのではなく…」
「守りたいとでも?それこそ傲慢。綺麗ごとだ」
佐藤はいつもの柔らかな調子のままなのに、なぜだろう――なぜか、とても怖い。
「いいですか。もう一度言いますよ。あなたとYUMEさんがやろうとしていることは、あくまでもあなたたち都合の復讐であり告発です。
未成年で違法な整形を唆されて、結果的に歌うことができなくなった。確かに、真壁さんの行為は、世間的にいうと間違いなく悪。モラル的にもですが、法も犯しているわけですからね。
でももし、あなた方が告発をして、真壁さんが失墜した場合。真壁さんの事務所に所属していた子たちは宿り木を、未来を失くします。つまりあなた方の告発が彼女たちの夢を奪う。守るのではなく奪うのです。
だから、救世主になれるなんて勘違いも甚だしい。今度はあなた方が恨まれる立場になる。もしかしたら、復讐されることになるかもしれませんね」







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