深夜1時のペンディング Vol.1

ドタキャンに深夜の呼び出し…。33歳商社マン彼氏との恋に未来はありますか?

有栖川匠

亮さんはハッキリ言って、“誰からも一目置かれるような人”だ。

年齢は、私より2歳年上。33歳という年齢で、大手商社の新規事業部に勤めながら、学生時代の仲間とウェルビーイング系の会社を立ち上げ、さらには複数のスタートアップにも個人で投資している。

だからこそ、いつも誰かに必要とされ、予定表は十分刻みで埋まっているのだ。

だけど私が亮さんに惹かれたのは、肩書の数が多いからなんてわけじゃない。

私が前に話したことを、しっかり覚えてくれている。

私がたまにこぼしてしまう仕事の愚痴を、決して笑わない。

私の努力を「頑張ったね」の一言で片づけず、ちゃんと内容まで知ろうとしてくれる。

それから…ものづくりが好きだった父の影響でメーカーを選んだことも、自分が携わった製品を世界へ届けたいという想いも、亮さんだけは、「青臭い夢」として聞き流したりしなかった。

「いいものを作れば、世界のどこかで誰かの生活が変わるんです」

初めてそう話した時、亮さんは笑わずに「いいね、それ」と言った。真剣な響きを帯びたその一言を、私は今も忘れられない。

シャンパングラスにそっと触れながら、亮さんは言う。

「真理恵。今日、無理して来たでしょ」

「無理してないよ」

「嘘。前髪触ってる」

図星を指され、私はシャンパンを飲んだ。

怒るタイミングを失うといつも、ふたりが出会った日のことを思い出す。ハッキリ言って、亮さんの第一印象は最悪だったから。


半年前。

私が働いているメーカーの商品企画部で初めて主担当になった、ウェルビーイング家電の新規案件。

この案件の協業先は、亮さんが勤務先の商社とは別に立ち上げた、ウェルビーイング系の会社だ。

三週間かけて練った“睡眠の質を高める空気清浄機”の企画を、協業先企業の代表として会議に参加していた亮さんは、開始二十分で遮ったのだ。

「あの」

「はい?」

「…この商品、誰の生活を変える想定ですか?」

白々しい光を放つスクリーンの前で、私は言葉に詰まった。

「えっと、それは…忙しい共働き世帯です。睡眠と生活リズムを――」

「それは社内で承認を取るための市場定義ですよね」

声は穏やかだった。

「すみません。これ、ユーザーが欲しい商品というよりは、御社で通しやすい商品に見えます」

言い方自体は柔らかな口調だったのが、余計に刺さった。

結局その日の提案は、また次回へのペンディング事項になった。

会議が終わると後輩の竹峰健吾くんが駆け寄ってきて、憤慨するように言った。

「飯島さん、大丈夫ですか。あれはちょっと言いすぎですよ」

「平気。正しい指摘だから」

笑ったはずなのに、給湯室で紙コップを握る私の指は震えていた。優しくされるほど、自分が惨めになることもある。

22時を過ぎ、フロアには私しか残っていなかった。直しても直しても、資料は社内用の正解から出られない。

そこへふいに、メールが入ってきた。

『すみません。さっきは言い方が悪かったです。もし嫌じゃなければ、もう少し話しませんか』

「これ…」


送信者の名前は、“神崎亮”。

冷水を浴びせられたような日中の感覚がにわかに蘇り、指先は自然と、断わりの文句を打ち始める。けれど――。

逃げたと思われるのは、もっと嫌だった。意を決してOKの返事を送ると、一つ下のフロアに割り振られている、亮さんのスタートアップのためにあてがわれたブースに残っていたらしい彼が、すぐに私を迎えにきた。

その日、社内で色々話した、1時間後に流れ着いたのは、今日の同じこの恵比寿のバーだ。

私が製造原価や社内調整の難しさを説明すると、亮さんは途中で話を遮らず、私の言葉のポイントをノートに記し続けた。

「メーカー側の事情は、俺より分かってるでしょ。教えて」

「今日の会議では、全部分かってるみたいな顔してましたよね」

「分からないから聞いてる。飯島さんとなら、ちゃんと作り直せそうだから」

会議室ではあんなに軽やかにこちらを刺してきた人なのに、二人きりになると驚くほど素直なことに、思わず面食らってしまう。

分からない。腹が立つ。それなのに――。

― もう少し、一緒にいたい。

そうして何度か仕事帰りに会い、気づけばいつのまにか、恋人と呼ばれる関係になっていた。

「真理恵?」

亮さんに呼びかけられて、我に返る。急に今に引き戻された私は、戸惑いを悟られないように答えた。

「ごめんなさい。どうしたの?」

「来週の金曜なんだけど…」

「あ、うん!その日は…」

その日は、付き合って半年になる日だった。

私が予約した、憧れのレストラン。クローゼットには、まだタグを外していない新しいワンピースがある。

だけど、亮さんは一度だけ視線を落とし、淡々とした口調で言ったのだ。

「ごめん。その日、シンガポールになった」

この記事へのコメント

コメントする

コメントはまだありません。

深夜1時のペンディング

有栖川匠

恋愛には、待つことが付き物だ。

会える日を待つ。返事を待つ。言葉にしてくれる瞬間を待つ。

けれど、待たされ続ける時間は、愛ではなく不安を育てる。

相手を尊重することと、物わかりのいい女でいることは、とても間違えやすいから

──恋人を遠くに感じる深夜1時の恵比寿の空は、いつもより暗くなる。

これは、保留ばかりの恋と人生をもう一度動かし始めるための、恋愛のリスケの物語。

この連載の記事一覧