~アイドルの夢を諦めた先に、振付師という正解を見つけた~
父の確信により、3歳からダンスを
金丸:そもそも、ダンスとの出合いはいつだったのですか?
槙田:3歳から習い事としてダンスを始めて、ジャズ、ヒップホップ、タップダンスと、いろいろなダンスを習いました。
金丸:3歳ということは、多分、始めたのは自分の意思ではないですよね。
槙田:きっかけは父です。父は音楽やダンスが大好きで、家では常に音楽がかかっていたんです。あるとき、私がハイハイしながら首でリズムを取っていたのを見て、父は舞い上がってしまったらしくて。「リズム感がある。すごい才能だ」と(笑)。
金丸:いい親バカですね(笑)。
槙田:本当に単純すぎるんですけど。それで、元宝塚の先生がやっているダンススクールに通うことになりました。
金丸:だけど、そこまで鋭く反応するって、お父様、ただ者じゃない感じがします。
槙田:父は、アートディレクターなんですよ。
金丸:やっぱり。ちなみに、お母様は?
槙田:母もデザイナーです。だから、クリエーティブな両親ではあったんですけど、別にダンスのプロにとかではなく、習い事としてという感じでした。
金丸:ダンスの大会に出場するようなことは?
槙田:そこまで本格的にはやっていませんでしたね。中学受験をすることになって、一度やめましたし。
金丸:じゃあ、いったんそこでダンスに区切りがついた。だけど、その後、槙田さんはアイドルになりますよね。
槙田:はい。中学3年生で芸能活動を始めました。そこで久しぶりにダンスを再開して。
金丸:アイドルになろう、と思ったきっかけはあるのですか?
槙田:もう単純に「有名になりたい!」という気持ちです。
金丸:いいじゃないですか。野心があって。アイドルだと、踊るし、歌いますよね。歌はどうだったんですか?
槙田:歌は、アイドルになってから初めて歌うくらいでした。それに、歌に対して、どうしても苦手意識があって。
金丸:歌にもいろいろ要素があるじゃないですか。音程やリズム感、声の特性。リズム感については、ダンスをやっていたからいけますよね。
槙田:自分の声質が好きになれなかったんです。録音されたものを聴いたときに、なんかしっくりこなくて。
金丸:自分で聞いている声と、録音されたものは違いますからね。
槙田:歌に向いている声ってあると思うんですが、私の声は「そうじゃない」と感じました。
青春の6年間をアイドル活動に捧げる
金丸:娘の才能を信じてダンスをさせていたら、アイドルになった。お父様も喜ばれたのではないですか?
槙田:それが、意外にも反対されました。
金丸:ええっ!?「やっぱり才能があったか」と喜ぶと思いきや。
槙田:自分が習わせたのに、勝手ですよね(笑)。でも、仕事の分野は別ですけど、父は芸能界に近いところにいたので、そんなに甘いものじゃないという現実も知っていて。だから、学業をおろそかにしない、大学も4年でちゃんと卒業する、というのが約束でした。
金丸:学業とアイドルの両立は、想像するだけで大変そうです。
槙田:振り返っても、かなり大変でしたね。
金丸:アイドル時代の活動について、ちょっと教えてください。
槙田:「ぱすぽ☆」というグループに所属していました。メンバーの入れ替わりはありましたが、9人だった時期が長いです。あと、キャビンアテンダントがコンセプトで。
金丸:キャビンアテンダント!?なんか、ターゲット層がニッチじゃありませんか?
槙田:CA風の制服に帽子をちょこんと乗せたような衣装で、毎回「アテンションプリーズ、ぱすぽ☆です」と挨拶して始める、というスタイルでした。
金丸:ファンは、どんな人たちが多かったんですか?CAに熱狂する人って、私の勝手な想像だとおじさんになっちゃうんですが。
槙田:でも、意外と女の子のファンも多かったですよ。
金丸:そうか。CAになりたいと思っている女子と、CAが好きなおじさん、みたいな2本柱。どんな曲を歌っていたのですか?
槙田:それが、衣装はCAがコンセプトなのに、楽曲はアメリカンロック、みたいな。アヴリル・ラヴィーンとかああいう感じで。
金丸:その組み合わせは面白い。なんでもありですね(笑)。
槙田:当時はAKBが全盛期で、いろいろな事務所がポストAKBを狙って、アイドルグループを作っていた時代です。うちもその流れですね。
金丸:じゃあ、CA風というのも、AKBとは違う感じを打ち出すために?
槙田:普通の制服だと、AKBのイメージがすでにありますから。
金丸:槙田さんは、アイドルをどのくらいやっていたのですか?
槙田:15歳から22歳までの6年です。「ぱすぽ☆」は2018年に解散しましたが、私はそれより少し早く、大学卒業のタイミングで、2015年末に卒業しました。
金丸:青春時代の6年間をアイドルに捧げたんですね。
槙田:恵まれた環境で活動させてもらえたと思っています。3,000〜4,000人規模の東京ドームシティホールやZeppツアーの舞台に立たせてもらえたのは、貴重な経験でした。



