喉が熱を帯び始めたのは、テキーラのせいか、選んだ言葉のせいか。語気が強くならぬようにと意識したせいで、これまでより低くなったともみの声に、キョウコは困ったように笑った。
「残念ながら、一度手放した人が、今も自分を想い続けてくれているとうぬぼれられる性格じゃなくて。奪い返すってことは、今も友坂くんが私を想ってくれてることが前提でしょう?そもそも、ともみさんみたいな素敵な女の子に宣戦布告するほど恋愛が得意じゃないのよ」
ため息交じりでも、その言葉からは偽りも淀みも感じられず、情けなく眉を寄せた表情にもわざとらしさはないし、むしろ純真さが見える。あざとさで勝負する小娘など吹き飛んでしまうような、年齢を超えた少女感。
困った顔が可愛らしくピュアな40歳がいるなんて。“作り笑いの世界”で生きてきたともみだからこそ、それがいかに難しいことかが分かる。
— これは強敵。
それに先ほどから、キョウコは一度もともみに敵意を見せず、“大輝に愛された女”としてのマウントをとる様子もない。正しい大人であり、とてもいい人でもあるのだろう。いっそイヤな女ならば闘いやすかったのにな、と、ともみは感心と落胆の混じったような複雑な気持ちで聞いた。
「宣戦布告じゃないなら、なぜ私に離婚の話を?」
なぜかな…と呟いたキョウコが、ほんの少しだけ、いたずらっぽく口角を上げた。
「同じ人に恋をした女同士で話す機会なんて、この先きっと二度と経験できないでしょ?」
「それは、脚本家的な興味、ですか?」
「それもないとは言わない。私の職業的な本能が、今、この場を楽しく思ってるのも事実。でも、それだけじゃなくて、今日あなたに会えて、あなたがこれから大輝くんと歩んでいく人だと知って、本当にうれしく思ってるから」
うれしいとは…?と、ともみが尋ねる言葉を探している間に、キョウコが続けた。
「私はね、友坂くんに恋を教わったし、彼が私を解放してくれたと感謝している。だからこそ私も彼を解放しなきゃと思ったの」
「解放って…彼がそれを望んでいなかったとしても、ですか?」
キョウコは答えなかったが、ともみは思い浮かべた。「友坂くんの幸せを願えば、彼を幸せにできるのは自分ではないと悟った」と微笑んだ、さっきのキョウコの言葉を。
けれどともみは、“相手のために”という主観の元に行われるものが、昔からとても苦手だ。
「やっぱり…私には理解できません。先生は——大輝さんの幸せを願ったから離れた、というようなことをおっしゃっていましたが、大輝さんの幸せは大輝さんが決めるものであって、先生や私が勝手に決めつけていいものではないのではないでしょうか」
2人の関係は不倫。それでも…進む未来が茨の道だとわかっていても、大輝は間違いなく、どこまでもキョウコと生きることを選ぶ人で、それはきっとキョウコにもわかっていたはずだ。
「大人の恋が終わるとき、その理由が好きとか嫌いだけではないことは、もちろん私にも理解できます。でも相手が彼なら…あんなに純粋にあなたを想っていた大輝さんだったのだから…」
たとえ別れなければならない事情があったとしても、大輝の一途さに報いるために、キョウコには本当の想いを伝えて欲しかった。そうすれば大輝があんなにも傷つくことはきっとなかったと、ともみはもどかしさで言葉に詰まり、うつむいた。
そしてしばらくの沈黙のあと、キョウコが静かに切り出した。
「ともみさん、約束して欲しいの」
ともみが顔を上げる。
「今日は、恋人の不安を取り除きたいという友坂くんの願いを叶えたくてここにきたの。だから聞かれたことには全て答えるつもりだったし、ともみさんが私が別れを切り出した理由を本当に知りたいのなら教える。でも1つだけ、約束して欲しい。
今から私が話すことを、友坂くんには、絶対に言わないって」
「それは…」
答え淀んだともみに、キョウコの穏やかな空気が消えた。
この記事へのコメント
ジョン・レジェンドの All of me なら知ってる。 とりあえず光江さんBGMにもこだわってるんだね! ジャズならきっと別の曲だろうけど、「お店でたまたま耳にした歌詞がその客の人生を変える事もあるから」なんてステキ過ぎ。演歌のような歌詞w発言も◎