「いやっ!」
自分の声に驚いて飛び起きる。
すると目の前に広がっている光景は、六本木のラグジュアリーホテルの部屋でもなく、あの夜の恵比寿の街でもなく、よく見慣れた市ケ谷の実家の自室なのだった。
「ああ、最悪な夢…」
ぐっしょりと汗ばんだルームウエアの胸元を握りしめながら、自分自身に言い聞かせる。
バクバクと飛び跳ねる心臓を両手で押さえると、手元に硬い感触を覚えた。
左手の薬指に光る、ダイヤモンドリングだ。
「…よかった。これだけは、夢じゃなくて」
季節は、いつのまにか秋の終わりに差し掛かっていた。ベッドからフローリングの床に降りたつま先が、ひんやりと冷たさを感じる。
「お風呂入ろっと」
冷や汗をかき強張った体を温めるため、バスタブにお湯を張る。
ローズの香りの入浴剤を入れたお湯の中で、ダイヤモンドリングはますますキラキラと輝いて見えた。
― プロポーズをしてもらえるなら、最短で1年記念日かなぁ。期待しすぎ?
ハロウィンが終わり、街を彩るディスプレイはクリスマス一色に変わっていく。
そんな中でつい最近まで正輝くんとの将来について日々ヤキモキしていたというのに、正輝くんが私にリングをくれたのは、11月に入ったばかりの何でもない週末の日だった。
付き合って7ヶ月。まさかこんなタイミングで、あんなに素敵なプロポーズをしてもらえるなんて。
何度思い返しても信じられない気持ちになってしまう私は、寝る時もお風呂に入る時もこうして肌身離さず身につけている。
そうでないと、あっという間に現実味を失ってしまうから。
まさか正輝くんが、“あんな状態”の私との結婚を決めてくれるだなんて。
正直に言えば、ここのところの私のメンタルはとても正常じゃなかったと我ながら思う。
あれだけ仲の良かった莉乃さんと正輝くんの間を、私の束縛で遠ざけた。
その負い目から中村くんと2人で飲みに行き、そして────受け入れてしまったのだ。
中村くんの、キスを。
しつこくホテルに誘われた時の、腰にまとわりつく手の感触が忘れられない。
自暴自棄な気持ちで油断してしまっていたとはいえどうして、たった一瞬だけでも中村くんを受け入れてしまったのだろう。
「やだ、帰る」
キスをした瞬間。強い嫌悪感とともに一瞬で現実に引き戻され、どうにかこうにかホテルから逃げることができたのは、本当に幸運だったと改めて感じる。
「飲みすぎちゃったみたいで、変な態度とってごめん!昨日のことは忘れてほしい」
翌日、深々と頭を下げながら謝罪されたことで、中村くんと私の間ではあの一件は無かったことになっている。
だけど、私の心の中では…到底無かったことにはならない。
中村くんとの間に起きた事故のようなキスは、私の気持ちをすっかり黒く染めてしまった。
― やっぱり、男女の間に友情なんてない。
もうこの考えは、決して私の中で変わることはないだろう。
何年もの間まったく男性として見ていなかった中村くん。そんな中村くんから酔いに任せて迫られた事実は、筋違いなようだけれど、正輝くんと莉乃さんに対する私の嫉妬心をますます浮き彫りにすることになった。
いい歳をして正輝くんのことを束縛するのが恥ずかしくて、一度は理解しようとしたけれど…今は、なおさら許すことができない。
気がつけば私の嫉妬深さは莉乃さんだけにとどまらず、正輝くんと離れている時はいつだって、疑心暗鬼に陥るはめになってしまったのだ。
この記事へのコメント
あ、ショーメもネイビー。