「うん……その通り。最初は知り合いの社長が“お店で働いていない女の子”を飲みの場に呼んでくれって頼まれて、アプリを登録したみたいなんだけど。夫のことを気に入ったメイって子に、食事に誘われたんだって。あの日私が十番の商店街で見たのもたぶんその子」
それだけ言うと、愛梨はグラスを手に取りゆっくりと口に含む。
「それで?その子とは、その…男女の関係だったの?」
私が重ねて聞くと、愛梨は静かに首を振った。
「わからない。夫も本当のことは言わないだろうしね。もう、終わったことだからいいの。ふたりとも相談に乗ってくれてありがとね。ほら、飲もうよ!」
“それ以上は聞かないで”と彼女の顔には書いてあった。
「あ、トリニティ。それ、使いやすくていいよね」
ふいに愛梨が私の右手を見て言う。
「うん、夏のボーナスで買ったの」
6月末に出た賞与の半分は、娘の将来のために学資保険とNISAにまわして、夫のボーナスは住宅ローンに消えた。
残った半分を「たまにはいいよね?」と、何度も自分に言い聞かせてカルティエに足を運んだのだ。
「そうなんだ!私も何年か前に買ったよ。その後すぐ値上がりしたの。最近どのブランドも値上がり激しくて、ホント嫌になるよね〜」
「うん…そうだね」
何げない会話のはずなのに、愛梨の言葉が心にひっかかってしまう。
私のは、正真正銘、働いた証としての“ご褒美リング”で、愛梨のは旦那さんに買ってもらったもの。だからなのだろうか。
褒めてもらったのに素直に喜べないまま、愛梨の指先に目を落とすと、前回にはなかった左手の薬指に、リボンモチーフのダイヤリングが光っていた。
シャネル… ?いや、そのデザインはグラフだった気がする。すると、値段は数百万円。
「……」
彼女と自分を、比べてはいけない。
愛梨は年上の経営者との結婚を選び、私は共働きする未来を覚悟で今の夫を選んだのだから。
けれど、無意識のうちに悔しさと嫉妬が私の中でじわじわと膨らんでいくのが自分でもわかった。
そんな自分が嫌で、とっさに話題を変える。
「そういえばこの前会社の先輩とふたりで飲みに行ったんだけど、代々木上原のワインバー。おしゃれでワインのセレクトもよかったから今度行こうよ」
夫とケンカして成瀬と飲みに行った日の話だ。店の提案をしたつもりだったのに、話が思わぬ方向にいってしまう。
「その先輩って…女?男?どっち」とまりかがニヤニヤしながら聞いてきたのだ。嘘をつく必要もないので正直に答える。
「男の先輩。同じマーケ部署なんだけど、頭の回転が速くて私が考えもしないようなアイディアをポンポン出すの」
“男”と言った瞬間、愛梨の眉がピクリと動いたのを、私は見逃さなかった。
「あ、もちろん何もないよ?ただ、久々にひとりの女性として扱ってもらえた感じがして、嬉しかったっていうか…純粋に楽しかったんだよね」
「へぇ……。由里子ちゃん、旦那さんに何て言って家を出てきたの?会社の先輩とふたりで飲んでくるねって?」
愛梨の声に、小さなトゲが見えた気がした。
「いや、仕事のトラブルだって嘘ついちゃったけど。それは余計な心配をかけないためであって…」
私が言い訳をすると、愛梨は口をつぐむ。
― ヤバい。他の女性と会っていたという愛梨の夫の話の直後に、この話はまずかったよね。
私は反省したが、時すでに遅し。変な沈黙が訪れる…。
外で働いていない愛梨には、異性と関わることはほとんどないはずだし、ふたりで食事することなど真面目な愛梨はしないだろう。
その時だった。
「ねえ、ちょっと話変えていい?……私さ、卵子凍結しようと思ってるんだよね」
まりかが、フレンチフライにたっぷりとわさびクリームをつけながら、明るい声を出した。
この記事へのコメント
今も、仲良し演技で心の中では各々が色々考えて微妙な空気や沈黙があったりする位だから、ずっと友達なんて無理なんじゃ😂
あと今日は由里子目線の日なのになんでまりかタイトルになってるんだろう....