萌香を大切にしたい。
萌香を幸せにしたい。
そう決意して告白したのに…。
実際に付き合ってみたら、幸せにしてもらっているのは俺の方ばっかりだ。
実家暮らしの萌香はそんなに頻繁には泊まりに来られないけれど、この部屋に来るといつでも美味しい手料理を作ってくれる。
俺がだらしなく散らかした部屋だって、萌香の手にかかれば一瞬で片付いてしまうのが不思議だった。
もちろん、萌香の魅力は家庭的な面だけじゃない。外見ももちろん可愛いし、なにより性格が可愛いところが大好きだ。
こうして毎日電話をしないと拗ねてしまうところ。
すっぴんを恥ずかしがるところ(俺は、すっぴんも可愛いと思う)。
いつだって手を繋ぎたがるところ…。
ついこの前のデートでも、どれだけ汗だくになっても手を繋ぎたがる様子が可愛かったっけ。
その時の萌香のことを思い出した俺は、思わず電話口で吹き出してしまう。
「えっ、なになに。なんで笑ったの?」
「いや。この前の萌香、かわいかったなぁと思って」
「なに、もう〜」
クスクスと、俺たちふたりの幸せな笑い声が、スマホの間を往復する。
この直後に萌香の機嫌を損ねてしまうなんて、この時の俺は、思ってもみなかった。
「ねえ…会いたいな。どうしても正輝くんに会いたくなっちゃった。
約束してなかったけど、明日ちょっとだけでも会えない?」
本来だったら、彼氏冥利につきるうれしいおねだりだ。
いますぐにでも萌香の元に飛んでいきたいくらいだったけれど…俺はつい、言葉に詰まってしまう。
明日は、予定があったから。
少しの沈黙のあと、思い切って正直に告げる。
「あ〜…ごめん。明日は、莉乃と約束があるんだよね」
莉乃との約束は、昨日のうちに決まったことだった。
俺の頭を悩ませている、サプライチェーンのプロジェクトの件。先方の担当者は以前、莉乃がコンサルにいた時に担当したことがある人なのだ。
さらには母校のサマーインターン選考についても、莉乃は経験があるはず。開催側としての視点はもちろん、そもそもが大学生の時に一緒にサマーインターンに参加した仲間でもある。
莉乃ならきっといいアドバイスをくれるに違いないと思って、俺から声をかけた。
「ごめん。莉乃とはどうしても仕事の話があってさ。萌香と会うのは、明後日でもいいかな?」
こっちから誘った手前、莉乃にリスケしてもらうのはさすがに申し訳ない。
そう思って萌香に甘えさせてもらおうとしたのだけれど──萌香から返ってきたのは、思いもよらない言葉だった。
「莉乃さんと…。そっかぁ」
「うん、ごめんね。明後日だったら、一瞬仕事抜けて夕飯くらい行けると思う」
「……」
「萌香…?」
「…正輝くん、正直に言うね。私…ちょっとだけ、ヤキモチ妬いちゃうかも」
「へ?…ヤキモチ?ヤキモチって、莉乃に?」
考えてもみないことだった。今までの彼女にも、こんなことは言われなかった。
莉乃は俺にとっては、男でも女でもない。ただの親友だ。
小さい頃からそばにいたせいもあるのか、いまさらどうこうなんていう気持ちは微塵もない。
単純にめちゃくちゃ気が合うし、一緒にいると楽しい。なにより、この世のどんな友達よりも尊敬しているのだ。
せっかく成蹊にいたのに、世界を見るために学校を辞めてまで留学する行動力。
めちゃくちゃ頭がいいのに、仲間とバカもできる愛嬌。
同じ業界にいた頃は同年代から頭ひとつ抜けて出世していたのに、「日本にもっとウェルネスの重要性を伝えたい」といってピラティススタジオの経営者に転身する意志の強さ。
そういう莉乃のことを心からスゴイと思っていて、だからこそ大切な彼女である萌香には知っていて欲しくて、先月紹介の場を設けたつもりだった。
なにより莉乃には、9年も付き合っている秀治さんがいることは、この前の会で萌香も知っているはずなのに。
それが、なにがどうしてヤキモチの対象になってしまうのか…。
あまりにもありえないことすぎて、俺は思わずまた電話口で吹き出してしまうのだった。
「いやいや。莉乃にヤキモチ妬く必要は、まったくないから(笑)」
けれどどうやら萌香にとっては、この件は笑い話ではなかったらしい。
「…ひどいよ正輝くん…笑うなんて」
絞り出すような声は、若干涙混じりにも聞こえる。
よく考えてみれば、萌香はずっと周囲は女性だらけの環境で育ったのだ。疑心暗鬼になってしまうのも仕方ないのかもしれない。
でも、俺と莉乃の間になにかあるなんて疑われているなんて、「ありえない」とわかりきっている当事者からするとおかしくておかしくて…。
そして、そんな意味のないヤキモチを妬いている萌香のことが可愛くてたまらない俺は、どうしても申し訳ない気持ちよりも萌香のことを愛らしいと思う気持ちの方が勝ってしまうのだった。
― ああ〜、萌香ってほんと可愛いな。今すぐ会って抱きしめたい。
拗ねる萌香の相手をしながらも、強い想いが押し寄せてくるのを止められなかった。
「大丈夫だよ」と言って安心させてあげたい。
萌香を大切にしたい。
萌香を幸せにしたい。
その思いは、付き合い始めたあの日から強くなるばかりだ。
だけど、律儀な莉乃のことだ。きっと昨日俺が声をかけた瞬間から、明日の予定は頑張って調整してくれているのに違いない。
― 萌香のこと優先してあげたいけど、大人としてダメだよなぁ…。そうだ!
解決策を思いついた俺は、萌香をなだめながら提案する。
「じゃあさ。明日、萌香もおいでよ。萌香が来てくれたら莉乃も喜ぶし」
それがいい。仕事さえ大丈夫そうだったら、秀治さんも来てくれるように莉乃に頼んでみよう。
ナイスアイディアに浮かれた俺は、冷蔵庫から2本目の缶ビールを取り出す。
後から考えてみれば、ゆるしがたいほど呑気なマヌケ野郎だ。
▶前回:「男女の間に友情なんて、あるわけない」疑心暗鬼になる彼女に、女の親友を紹介したら…
▶1話目はこちら:「彼氏がいるけど、親友の男友達と飲みに行く」30歳女のこの行動はOK?
▶Next:8月11日 月曜更新予定
萌香のことを想って、またしても莉乃に引き合わせる選択をした正輝。だけど…
この記事へのコメント