美景は元々生粋の美容オタクで、特にスキンケア商品が大好きだった。会社を起こすための勉強をして資格を取るうちに化粧品の原材料に詳しくなっていった。
そして、ある程度の資金が貯まり起業すると、〖健康的な肌の基本は、クレンジングが作る〗という信念のもと、最初の商品として“クレンジング美容液”を作ることに決めた。
『どんなに良い成分が入っている化粧品でも1度で効果は出せない。一定期間使い続けないと、その商品が謳う本当の効果は望めない』
とは、よく言われることでもあるが、良い成分が高い割合で配合されれば、当然、値段は上がる。
金銭的に余裕のある人たちなら、どんなに高価な商品でも使い続けることができるだろうが、そうでない人たちにも手の届く値段で、本当に良いスキンケア商品を作りたいと美景は思った。
しかし値段を下げるためには、作る工程における各原価を下げなければならない。どこを下げてどこを守るか。それを徹底的に分類していったという。
原材料や開発費、そしてテスト費用には可能な限りお金をかける。その代わり実店舗は持たず家賃や人件費を縮小。容器はシンプルにしデザイン費を浮かせ、小売店も介さず、無駄な在庫が出ぬよう在庫管理も徹底した。
そして広告費は使わず、宣伝はSNSに絞り、美景は“作る過程から共感してもらおう”と考えて、開発から完成までの様子を可能な限り配信することにした。
起業と同時にポールダンサーはやめたものの、生活費を稼ぐためキャバクラに勤務しながら、化粧品づくりや勉強を並行させ、時には周囲と揉め、開発が思い通りに進まず苦悩しながらも、良い商品を作ることを諦めない様子を隠さず配信し続けた。
どんなに視聴者が少なくても配信を続けたことで、「美景さんを見ていると自分も頑張ろうって思えるんです」と、“兵藤美景の商品が出来上がるまで”を、まるで配信ドラマのように楽しみにし、美景を応援するファンたちがどんどん増えていった。
そうして、およそ2年の月日がかかって、ようやく美景が自信を持って勧められる、“クレンジングなのに美容液的な効果もある”という特徴から名づけられた『クレンジング美容液』が、ついに完成にこぎつけた。
価格は3,000円ほどで、激安というわけではないが、初回販売予定数は、あっという間に完売したらしい。以来、化粧水、美容液、ナイトクリームと、1つずつ商品を開発して売り出してきた。
ナイトクリームについては、PR案件は受けず忖度なしでレビューすることで有名な、毒舌美容系インフルエンサーが、「3倍以上の値段がする他ブランドの高級クリームと同じ成分が入っていてこの値段はすごい」と絶賛。
以来、美景の商品はメディアでも多く取り上げられるようになり、予約販売となった今も、発売ごとに即完売を繰り返している。
商品の口コミでも高評価が多いのは、商品の効果はもちろん、美景自身の肌が“絹肌”だと信頼を得ていて、美容系の雑誌やイベントには引っ張りだこの存在になったからでもある。
「マジでかっこいいんですよ、美景さんってホントストイックでめちゃくちゃ努力するから。誰にも頼らず自分の力で起業して、ボスになって。独学&自力でドリームズカムトゥルーですよ」
興奮の止まらないルビーに、「小さな会社だし恥ずかしいからやめて」と美景がグラスを手に苦笑いした、けれど。その笑顔に、少し気まずそうな影がはしったようにも見えて、ともみは気になり、切りだすことにした。
「美景さんは今日は…なぜうちの店に興味を持ってくださったんですか?」
ルビーが、そうだった!と本気で今まで忘れていたようにハッとして言った。
「そうだ、美景さん、その理由を教えてくれなかったから」
美景がルビーにTOUGH COOKIESに行きたいと連絡してきたのは、1週間ほど前。理由を聞いたルビーに、当日話すね、と言っていたのだという。
美景はフゥっと長く息を吐き出した。そして、美景さん?と気遣ったルビーに、覚悟を決めたような笑顔を向けてから話しだした。
「ルビーがここで働き始めた頃、この店のコンセプトを教えてくれたよね」
ルビーが頷く。
TOUGH COOKIESがオープンして1か月が経った頃、ルビーは新しい店で働き始めたという報告も兼ねて美景と食事した。その時に、ショップカードのQRコードから飛べるHPにあるこの店のコンセプトを、美景に見せたのだという。
「女性限定のBARで完璧に秘密は守られる。だから誰にも言えない秘密を抱えて、1人でずっと苦しんできた女の子たちに是非来て欲しい。そしてほんの少しでも、その気持ちを楽にできる場所にできるといいな、ってルビー言ってたよね」
「はい」
「そんな店が実在するなんて驚いたけど、ルビーにはすごく向いてるなって思ったの。ルビーはめちゃくちゃおしゃべりに見えて、人の話を聞くことがとてもうまいし、
一緒に働いている店長さんも、正直で潔くて信用できるかっこいい人だってルビーが言ってたから、この店には興味があったけど、それでも——自分が来るつもりは絶対になかった」
美景の表情に浮かんだ影が濃くなっていく。美景さん?と心配そうに聞いたルビーに、美景はなぜか、ごめんね、と謝った。
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