実は数日前、「私の知り合いが店に来たいって言ってるんですけどいいですか?」とルビーから相談された。ルビーが尊敬する年上の友人で、女社長だと聞いている。ルビーの紹介なら信用できるし断る理由もなく、その人が今日のお客様になった。
営業は19時から。あと6時間以上ある。一旦家に帰ってシャワーを浴びて、焼き肉の匂いを落として…などと時間配分を考えていたこの時のともみは。
そのお客様の思いもよらぬ告白で、ルビーが号泣して取り乱す夜になるとは、想像もできなかった。
Customer5:優しい恋人からのプロポーズを受けられない秘密がある兵藤美景・30歳
「美景(みかげ)さんです。アタシの超リスペクトするラブネキ(ラブな姉貴)です!」
「あ、もちろんともみさんもアタシのラブネキだよ~」と、指ハートを作りながら補足したルビーに紹介された女性は、スレンダーで背の高い、猫目の美女だった。ルビーと変わらぬ身長は170cmくらいか。
パンツスーツということは仕事の帰りだろうか。小さな顔を引き立たせるショートカットは明るめのブラウンだ。
― 肌がめちゃくちゃ綺麗。…どこかで見たことがあるような。
そんなともみの思考を読んだかのように、美景と呼ばれた女性が、はじめまして、と名刺を差し出した。
『CEO 兵藤美景』
― あ、有名人だった。
ともみはSNSに嫌悪感があるため頻繁には見ない。けれど美景のことは知っていた。確か、化粧品を販売している会社の社長で、美容系の雑誌などで見かけたことがある。
「美景さんは、私が今のポールダンスの店に入店した時の大先輩で。私が入った時、美景さんは1年後に引退することが決まってたんですけどね」
ルビーの説明によると、美景は会社を興す前は、ポールダンサーとキャバクラ嬢を掛け持ちしていたという。ポールダンス(ポール・スポーツとも言うらしい)は、ただ店で踊るだけではなく、大きな大会で優勝するような実力者でもあったが、起業するための資金を貯めるために、キャバクラで働くようになったらしい。
ダンス界では有名人、キャバクラ嬢としてもそこそこの人気があり、元々SNSではそれなりの知名度はあったのだが、美景を一躍有名にしたのが…ある日、キャバクラの客が撮った動画が拡散されたことだった。
酔っぱらい、店の中で暴れまわる質の悪い客を、格闘技の締め技のようなもので仕留め、店の他の女の子たちを守った動画だ。
仕留められてもなお、このブスが!!と暴言を吐いた男を美景はひと睨みし、「ブスって言った?はい、死刑決定~」と、締めていた腕にさらに力を込めた。それにより暴言男が気を失いかけ、「美景さん、過剰防衛になりますから!!」と、黒服が慌てて引きはがす…というところまでの一部始終が撮影されていたのだ。
携帯動画にもかかわらず、やたらとうまいカメラワークで、音声も至近距離で拾えていたのは、撮影していたのがこの店の常連客のドキュメンタリーなどを撮影するカメラマンで、彼が野次馬には必要のないプロ根性を発揮してしまったからだった。
そのカメラマンが、美景のかっこ良さにほれ込み、“イケメンキャバ嬢”として、美景をタグ付けして動画を配信。
するとそのルックスがキャバクラにはそう多くはない、ショートカットの“ハンサム美人”だったこともあって、確かに超イケメン!と、女性ファンが急増。美景のSNSのフォロワーは一挙に20万人を超えることになった。
「元々、美景さんとアタシはシフトも違ってたし、そんなに接点がなかったんだけど、あの動画見たら惚れちゃうよねぇ。で、ネキ~(姉貴)友達になってください~!って告白しに行ったんだぁ」
「ルビーの人への距離感って、恐ろしい程にバグってません?私の方が7個も年上なのに、最初からため口だったし」
呆れたように笑った美景に、ともみは激しく同意しながら、飲み物の注文を聞いた。
「カイピリーニャとかできます?」
カイピリーニャには、カシャッサというサトウキビの蒸留酒を使う。アルコール度数は40度。美景はどうやら酒に強いらしいと、思いながら、ともみはライムを切って粗糖とともにロンググラスへ落とした。
木のペストルでライムを潰してクラッシュアイスを入れ、最後に透明なカシャッサを注ぐと、甘くて鋭いアルコールの香りが立ち上り広がっていく。ともみは、目に見えない空気の変化を味わうその瞬間が、とても好きだ。
どうぞと差し出されたカイピリーニャを、美景は一口含み、舌で転がすように味わうと、うん、最高、とほほ笑んだ。
いつものパターンを考えると、てっきり、カウンターに座る美景の横の席を陣取るだろうなと思っていたルビーが、カウンターの中に立ちっぱなしのままだ。
「“超リスペクトネキ(大尊敬している姉貴)”をお客様としてお迎えしているんだから、店員としての礼儀は守ります!」というナゾの配慮をするルビーに、ともみは、じゃあその手にある生ビールは何なの?と、突っ込むのはやめておいた。
― でもルビーは本当に、美景さんのことが好きなんだな。
そう微笑ましく思っていたともみに、ルビーがニコニコと言った。
「ともみさん、美景さんが作るスキンケア商品って、使ったことあります?」
申し訳ないけど…と首を横に振ったともみにルビーは、まるで自分のことのように誇らし気に、美景のスキンケアブランドの魅力を、そのサクセスストーリーと共に説明を始めた。
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