東横線の中でも独自の進化を遂げる武蔵小杉。そこに住む人々の行動原理を知るべく、複数名の在住者へのヒアリングを敢行。
見えてきたのは特有の生態系と価値観。そんな彼女たちの日常を小説にしてみた。
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「多摩川を越える=東京というステージから一段降りる」気がしていたけど…
武蔵小杉に引っ越してきてから数年が経つ。この春、息子の陸は小学生になった。
エレベーターホールで、登校していく背中を見送りながら、ふとこの街に来てからの日々を思い出したのだった。
夫の耕太に「武蔵小杉のタワーマンションに引っ越さない?」と相談されたときは、正直複雑な気持ちだったのを覚えている。
私は地方から大学進学をきっかけに東京に出てきて、そのまま就職した。職場は赤坂で、住んでいるところは麻布十番。独身時代からずっと港区で暮らしてきたのだ。夢も希望もあれば、残酷さもある──そんな東京という街で“戦う”ことが、負けず嫌いな自分の性に合っていると思っていた。
30歳にもなると、仕事も遊びもそれなりに楽しくなり、東京になじんでいる自分が嬉しくもあった。だから結婚してからもずっと都内に住むのだろうと漠然と思っていたのだ。
耕太の実家が東横線の元住吉にあり、将来子育てを考えると実家に近い方が安心だというのが理由。
子どもがいるいまでこそ、この判断は本当に正解だったのだが、当時の私は、子どもを産み育てることがあまり想像できなかった。そして、“多摩川を越える=東京というステージから一段降りる”ような気がしていて、素直にうなずけない自分がいたのだ。
それでも耕太に促されて内見に行くと、駅からすぐのタワマン29階に心は躍った。抜けのいい眺望にホテルのようなエントランス。小奇麗な内廊下に共有スペース。想像していなかった生活がここで始まる──。
私の自尊心は意外にもすぐ満たされた。悪くはない。半分、自分に言い聞かせるように引っ越しを決めたのだった。
武蔵小杉のタワマンに暮らし始めると徐々に“暮らしやすさ”や“便利さ”を実感。各階に設置されている、24時間いつでも出せるゴミ置き場、外に出れば役所やスーパーなども近くにあり、想像していたより生活は快適だった。
だが、都内で飲むときには、電車の時間を気にしなければならないし、かといってこの街で惹かれるような星付きレストランや、洗練されたバーはまだ見つけられていない。その点は少し不満に思っていた。