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「菜穂さん、ちょっと相談してもいいですか」
翌日、出社して作業をしていると、黒髪をきれいに内巻きにした3つ下の後輩が、PCを片手に困った顔でやってきた。
「あ!菜穂さん。僕もそのあといいですか?」
背後の席にいた4つ下の後輩も、声をかけてくる。
「はーい。順番に聞くね」
マーケティング部は、社内でも若手が多く、活気に満ちた部署だ。後輩がたくさんいて頼られるのは、大変だけれどシンプルにうれしい。
2人にレクチャーをし終えたとき、一つ隣の島から、部長が大きな声で呼びかけてきた。
「おーい。13時からの会議の資料、これでOKだから先に先方に展開しておいて」
「わかりました!ありがとうございます」
3月の年度末で一山越えたと思いきや、相変わらず忙しい毎日だ。週3日の出社日は、毎回色々な人に引き止められ仕事が進まない。
13時からの会議に向けて、先方に資料を送った。ようやく一息つくと、空腹が襲ってくる。
「もう11時45分!何食べようかな」
オフィスがある新橋駅は、安くて美味しいレストランが多い。ただ最近は、ゆっくり外食を楽しむほどの余裕もない。コンビニか、会社の14階にある食堂か、1階に来ているキッチンカーを利用するばかりだ。
― 今日はキッチンカーにしようかな。混み合う前に、買いに行くか。
立ち上がろうとしたとき、新着メールの通知が目に入った。
差出人は、普段やりとりのない人事部の人からだった。
― え?なんだろう。
メールの件名には「新人研修 登壇のご依頼」と書かれている。
『マーケティング部 桜庭さん
お疲れ様です。人事部の澤石と申します。
突然のメールで、すみません。
5月上旬に行われる新人研修に登壇していただきたく、ご相談です。
「女性のいろいろな働き方」をコンセプトに、同期の安西さんと、お二人で対談してほしいと考えています。
詳しくは資料を添付いたしました。ご登壇いただける可能性があるか、お伺いしたいです。
よろしくお願いします。
人事部人事課 澤石蒼人』
対談相手に挙げられている安西さんは、確かに同期だ。とてもきれいな子で、新人研修時代、同期男子をざわつかせていた印象がある。
結婚していて、今は、子どもがもう2人もいるはずだ。
思い出しながら私は、添付されていたPDFを開いた。
「今回の企画では、子育てをしながら時短で働いている安西さんのような社員がいる一方で、キャリアを積み上げる桜庭さんのような先輩もいるということを、新人に伝えたいです。
30歳でいち早く課長に昇進した桜庭さんが安西さんと話すことで、新人は、幅広い働き方を想像できると思います」
― なるほどね。
趣旨はわかった。が、同時にモヤモヤしてくる。
登壇を承諾するか迷いながら、私はなんとなく同期のグループLINEを開き、安西さんを探した。
『朝霞(安西) ユカコ』
旧姓が併記されたLINEを見つける。プロフィールをタップすると、旦那さんと子どもたちと一緒に、相変わらずきれいな安西さんが映っていた。
― ピクニックかな?
黄緑色に囲まれて、寄り添って笑う4人家族をぼうっと見る。
― 楽しそう。いいな……本当は、私だって。
本当のことを言えば私だって、「子どもがいて時短で働く」ほうの人生に憧れている。だから、安西さんと対比されるのは、しんどい。
これが、人事部からのメールを読んだ瞬間に湧き上がった、モヤモヤの正体だ。
― けど、ないものねだりしても仕方ないよね。
人事部から声をかけてもらえるなんて、光栄なことだ。私は返信を打ち込む。
『お声がけありがとうございます。ぜひ、お受けさせていただきます』
この記事へのコメント
30歳なんて気の持ちようだし人生まだまだこれからなのに。