「ともみちゃんがお酒を飲みたいなら、オレも付き合いたいから車を置いて行こう」と大輝に提案されしばらくすると、どこからともなく黒塗りの車がやってきた。
「お久しぶりです、お元気でしたか?」
大輝の挨拶に、お坊ちゃまは会うたびに男前になられて、とニコニコとうれしそうに答えたのはシルバーヘアの運転手だ。名は河北さんと言い、大輝が幼い頃からずっとこの別荘を管理していて求められれば運転手もするとのこと。
何を食べるのかは任せたいと言ったともみを、大輝は老舗ホテルに連れて行った。昭和初期に建てられた有形文化財だというホテルのことはともみも知っていたけれど、訪れるのは初めてだった。
5メートル以上はあるメインダイニングの天井に描かれているのは、日本アルプスの植物らしい。
大輝はそのダイニングにあるフレンチレストランの常連らしく、親しげなサービススタッフが慣れた様子で、少しずつ咲き始めた春の花を楽しめる窓際の席へと案内してくれた。
ともみはオムライスと迷った末に、大輝と同じ、このレストランのおすすめだという蟹カレーを頼んだ。大輝が選んだロゼシャンパーニュが運ばれてきて、今日最初の乾杯をする。
「誕生日おめでとう。そして店長就任もおめでとうだね」
「ありがとう」
グラスを合わせたあと、よかった、と大輝がほほ笑んだ。
「なにが?」
「んー?今日はともみちゃんが楽しそうだから」
「え?」
「このところ、会ってもあんまり元気なかったでしょ」
「そんなこと…」
ない、と言おうとしたともみを大輝が遮った。
「そういうところ。ともみちゃんってオレに似てるからなんとなくわかるんだよね。
本心を見せるのを面倒くさがるというか…相手とかその場の空気に合わせてキャラもテンションも変えちゃうから。
お互いに外面を保つのが得意になりすぎちゃったよね」
シャンパングラスを握るともみの手に力が入った。だからさ、と大輝が優しく続けた。
「今日はふにゃふにゃに緩んで、リラックスして欲しいなって思ってる。もちろんお祝い気分も楽しんで欲しいけど、オレで良ければ話を聞きたいと思って。オレたち、そういう話ちゃんとしたことなかったでしょ」
「…そういう話って?」
「例えば、今悩んでることとか?なんでも聞くよ」
こちらを見つめてくる優しい瞳に、あなたこそ“そういうところ”だよ、とともみは文句を言いたくなった。
ともみは美しいものが好きだ。自分がいわゆる面食いであることを自覚している。美が正義だとされる芸能界で、美に囲まれ育ち、美に慣れ切ったともみでさえも、出会った瞬間に大輝の造形美には驚いた。
最初はその“ただ圧倒的に美しい男”への興味でちょっかいをかけた。けれど大輝は簡単には落ちず、何度も断られたことにより余計に闘争心に火がついたのは、それまでのともみが恋の駆け引きでは負けたことがなかったからだ。
それなのに。関係を持ってから知ってしまったのだ。
大輝は弱い。弱いから強くあろうとしている。弱さを原動力とする生き方はともみと同じなのに、大輝にはともみが持たないものがあった。
それは愛情深さ。大輝という人は優しいのだ。なかなか他人を信用しないくせに、一度ふところに入れてしまった相手は絶対に邪険にできない人。その人のために心を尽くそうとしてしまう人。
― 本人には尽くしてる自覚がないのがまた…質が悪いよ。
そして嫌な事があって落ち込んだ日。大輝に会いたいと思っている自分がいることに気がついた時、ともみはもう認めざるを得なかった。
友坂大輝という男は…沼だと。そして、その美しい沼に、自分が捕らえられてしまったのだと。
けれど大輝は、残酷なほどに鈍感だった。
この記事へのコメント
カレーな気分になったから今日の夕食メニューが決まった。