1LDKの彼方 Vol.15

待ち望んでいたプロポーズをされた30歳女。しかし、その瞬間感じた違和感とは

私がそう言った瞬間。呆けたような亮太郎の顔が一段と、子どもみたいにあどけなくなった。

「え?明里、それってどういう…」

今度は、笑いそうになったりしない。亮太郎は戸惑っているけれど、妊娠していないことが分かった今、私にはハッキリ分かってしまっていたから。

今のままの私では、さっきのプロポーズを受けることはできない。


ずっと結婚したかった。ずっと家族が欲しかった。それが夢だと思っていた。

だけど、妊娠したかもと思った時、私はすごく怖かったのだ。

それはつまり、今の私は、家族を持つ準備ができていない。そういうことなんだと思う。

そしてそれは多分、亮太郎も同じなんじゃないだろうか?

今日してくれたプロポーズの言葉。

「じゃあさ…結婚しようよ」

じゃあ?じゃあ?ってなんだろう。

それはつまり、私が妊娠したのなら結婚するということだ。

私ひとりの存在だけでは、結婚は遠い未来だった。決め手に欠けていることは明らかだった。

妊娠していなかったとわかった今、亮太郎は、結婚を急ぐ必要はない。

「結婚してくれなくても…って、俺、そんなつもりで言ったんじゃないよ。俺、ほんとに明里と結婚したいって思ってる」

我に返った様子の亮太郎が、慌てて否定する。優しい言葉は、嬉しい。けれど私は、冗談めかしてその言葉を受け流した。

「ありがと。もし本気でそう思ってくれてるなら、こんなに急いで決めないで、ばっちり準備してプロポーズしてほしいな!ティファニーの指輪かなんかパカっとしてさ」

「いや、俺…ちょうど指輪も買いに行こうと思ってたし」

「とにかくさ、亮太郎が言ってたみたいに、焦るのやめたの。確かになーって思って。だから、私たちはのんびり行こ!」

「…明里がそう言うなら。うん…分かった。ちゃんとやり直しさせて」

「うん。この話は一旦終わり。ねっ、一緒にカレーの続き作ろ」

妊娠も、病気も、プロポーズの話もうやむやになった今、私がこの部屋に戻ってくることもまた、うやむやのまま決定事項になっていた。

「同棲なんてしなきゃよかった」

あんなひどい言葉をぶつけてしまったのに、亮太郎はいつだって優しくこの1LDKに迎え入れてくれる。

とても居心地がいいけれど、現実は何も変わっていない。私のするべきことは一体なんなのか、その答えを出す必要があった。


一緒にカレーを作りながら、私は考える。

亮太郎のことが好きだ。

だけどもしかしたら私は、ただ結婚というものに憧れていて…その相手としてちょうど良さそうだったから、亮太郎のことを好きになったんだろうか?

家族を持ちたいと憧れていて、亮太郎が温かい家庭で育ったから、ちょうどいいと思って好きになったんだろうか?

そもそも結婚や家庭に憧れていたのは、私の家族──歌織から逃げたいという気持ちだけで…。私自身は本当にそれを望んでいるんだろうか?

“30歳”という数字に振り回されてしまっていなかっただろうか?

妊娠したかも、と思った時、怖いと感じた。まだ準備できていないと思った。

本当に亮太郎と結婚したいのかどうか、分からなくなってしまった。

だって私たちは、具体的な将来の話なんて、まだ何もできていから。

子どもが欲しいか。どんな夫婦になりたいか。どんなふうに暮らしていきたいか。私たちはお互いに、何も知らない。

ただただ、“楽しい今”を共有するだけの2人だったから。


散らかり放題になっていたゴミを集めて、キッチンのゴミ箱に捨てる。

ふと、生ゴミ以外のモノが目に入った。私が以前「捨てて欲しい」と言った、亮太郎の大切なスニーカーが捨てられていた。

― 私のこと、大切にしてくれてる…。

ぎゅっと詰まる胸をおさえて、私は思わず亮太郎の方を振り返った。

機嫌良く鍋をかき混ぜる亮太郎の横顔は、やっぱり愛おしい。

― 本当に亮太郎と一緒にいたいのか…次の誕生日が来るまで、もう一度ちゃんと考える。

彼の横顔を見て、私は密かに覚悟した。


▶前回:結婚に悩んでいた28歳男が、突然プロポーズを決意。「まだ早い」と思っていたのに…

▶1話目はこちら:恵比寿で彼と同棲を始めた29歳女。結婚へのカウントダウンと意気込んでいたら

▶Next:4月7日 月曜更新予定
もう一度、まっさらな気持ちで同棲生活に向き合うことを決意した明里。そして迎えた“その日”…

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この記事へのコメント

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No Name
じゃあ? じゃあ?ってなんだろう....
そう感じるよね。
2025/03/31 05:1731返信1件
No Name
きっと明里の気持ちは、亮太郎が結婚にちょうどいいからではなくて本当に好きなんだよ。 一時期島田さんの方がいいかも?と読者目線で思ってたけど結局この二人はお互いを好き同士だから結婚して幸せな家庭を築くだろうと思った。
2025/03/31 05:2418返信1件
No Name
雨降って地固まるとなればいいけどね。明里には、妹だけ可愛がって育てた親を忘れる位幸せになってほしい🥺
2025/03/31 07:0216
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