1LDKの彼方 Vol.11

結婚願望がない彼氏と迎えた、30歳の誕生日。女がショックを受けた“ある理由”

不安を抱えたまま写真撮影は終わり、再び少しの雑談のあと、取材の場はお開きになった。

「では、公開前に原稿チェックのタイミングを作らせていただきますので」

ライターさんの言葉に、私たちは互いに頭を下げ合う。編集部の方々にロビーまで見送られたあとは、タクシーを待ちながらもう一度、島田さんと挨拶をする流れになった。

「菜奈さん、明里さん。今日はありがとうございました。色々お話できて刺激になりました」

「島田さん。こちらこそありがとうございました。記事の公開、楽しみですね」

「あ、そういえば…まだ名刺交換させていただいてなかったですよね?」

「確かに!ご紹介していただいただけで満足しちゃってましたね」

「ちょっと待ってください」と言うと、島田さんは一瞬、ボールペンで名刺になにやら書き込み、私たちふたりと今更ながらの名刺交換を済ませる。

そして、先に一台到着したタクシーを私たちに譲ってくれ、窓越しに「今度、食事でも」と言いながら笑顔で見送ってくれたのだった。

― 最後まで感じのいい人…。

ぼーっとそんなことを考える私だったけれど、タクシーが発進した途端。菜奈が私の方にぐいと体を寄せ付けて問い詰めてきた。

「ちょっと明里、今日どうした!?心ここに在らずでしたけど!」

「ごめん…。完全にプライベートの悩みで…申し訳ない」

勘のいい菜奈のことだ。私の不調にはとっくに気づいているとは思っていたけれど、気持ちのゆらぎが仕事にまで出てしまったとなれば、共同経営者としてはその理由を話すほかない。

私たちの手がける女性支援事業では、失恋休暇など女性のメンタルにも寄り添うことを大切な軸として掲げているのだ。こんなごくごくプライベートな悩みでも、決してバカにしたりせずに真剣に聞いてくれる菜奈の存在がありがたい。

だけど…。

一通りの亮太郎との今の関係を話してしまったあと、菜奈から返ってきたのは、あまりにも予想の斜め上の答えだった。


「他の人探しなよ」

「えっ」

「別に、別れろっていうんじゃなくてさ。亮太郎くんと付き合いつつも、他の人にも目向けてみたらって、私は思うよ」

「そんな、浮気なんて私…」

モゴモゴと言い淀む私に、菜奈はケロッとした表情のまま畳み掛ける。

「浮気じゃないよ!他にもちょっと目を向けてみるだけ。

だって今って、明里と亮太郎くんは同じ方向を向いてないじゃない?明里は早く結婚したい。亮太郎くんは今は結婚なんて考えられない」

「うん…」

「だったら明里は『なるべく早く結婚したい』っていうポイントにフォーカスして、他にも目を向けてみるべきだよ。

結局は、条件が合うかどうか。仕事だって、どこと一緒に事業したいか考えた時に、コンペは普通するでしょ」

「コンペ…」

無茶苦茶なようでいて、菜奈の言葉には妙な説得力があるのが恐ろしい。黙り込んでしまった私に向かって、菜奈はかまわず言葉を続けた。

「…正直、私は明里の友達だからさ。ちょっと亮太郎くんにムカついちゃうかも。

明里に対して、まだ結婚を決意する決め手に欠けてます〜って言ってるようなもんじゃん。年下ってこともあるかもしれないけど、それってやっぱり失礼だし」

「そうかな」と小さな声で答えながら、私は密かに納得した。

これほどまでにウジウジと思い悩んでしまうのは、菜奈の言う通り、暗に亮太郎に「及第点に達していない」と思われていることにショックを受けたからなのだ。

私の魅力では、亮太郎に「結婚したい」と思ってもらえていない──。

それはとても、とても、悲しいことだった。

「てかさ、今の島田さんとかもよくない?すぐ結婚したいって言ってたし、自立した女性が好きって言ってたし。

なんとなくだけど、明里みたいな女性がタイプだと思ったな。名刺も交換したし、ご飯でも誘ってみたら?」

「いやいや、そんな…」

ますます落ち込んでいく私とは正反対に、菜奈のテンションは上がっていく。本来菜奈は、こういう恋バナが好きなのだ。

島田さんがくれた名刺をヒラヒラと振る菜奈につられて、私も渋々、手元の島田さんの名刺に目線を落とす。

その時だった。私と菜奈はふたり同時に、あることに気がついた。

「あれ」

もらった名刺が、菜奈のものと少し違う。

裏面に、緑色のボールペンの走り書き──。

<今度、食事でもどうですか   島田>

そのメッセージは菜奈のものにはなく、私が貰った名刺にだけ書かれていたのだ。


「キャー!明里!ほらー!さすが島田さん、帰国子女だって言ってたもんなぁ。ドラマみたいっ」

手に持った名刺が、急に熱を帯びたように感じる。ドキマギする私に、菜奈が耳打ちするようにささやいた。

「正直、亮太郎くんと明里は別れないと思うよ。でも、ただ受け身で待ち続けるのと、『結婚はしようと思えばすぐできるけど、好きだから亮太郎くんを待つ!』って決めて待つのでは、気持ちが違うじゃん。

明里はまず自信取り戻さなきゃ!気楽に、気楽に〜」

「気楽に…。いいのかな…」

私は、亮太郎のことが好きだ。大好きだ。

でも、亮太郎の方は、そこまで私のことを好きじゃなかったら…?

私は、亮太郎のことを悲しませたくない。幸せにしたい。

でも、亮太郎の方は、私のことを悲しませたくないと思ってる?幸せにしたいと思ってる…?


結婚したいと思ってもらえない、ダメな自分。

そんな自分でも、食事に誘ってくれる人がいる。

その事実は、大きなひび割れが入っている私の心に、素直に嬉しく染み込んできてしまう。

「コンペは普通するでしょ」
「気楽に、気楽に」

菜奈の言葉が頭の中に鳴り響く。

気がつけば私は、小さな声でつぶやいていた。

「同棲してても、他の可能性って、模索してもいいのかな…」


▶前回:29歳彼女と同棲しているのに、将来を考えていない男。結婚を迫られた彼がとった言動とは

▶1話目はこちら:恵比寿で彼と同棲を始めた29歳女。結婚へのカウントダウンと意気込んでいたら

▶Next:3月10日 月曜更新予定
結婚願望が受け入れられない明里は、ついに他に目を向け始める?一方の亮太郎は

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この記事へのコメント

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No Name
結婚視野にいれて同棲を始めたのに、結婚は考えてないとストレートに言われたらそりゃショックでしょう。 時間を無駄にしたくないし別れを選ぶ女性も少なくないはず。
涼太郎側もでっかい秘密を抱えてるようだし気分転換に島田さんとお食事する位全然いいと思っちゃう。
2025/03/03 05:3740
No Name
島田さんいいと思う!少なくとも涼太郎よりは...
2025/03/03 05:2433返信2件
No Name
今は結婚なんて考えられない まで言われたらもう明里の方からは何もアクションを起こせないと言うか、将来の話でさえNGなように感じてしまう、そんな気持ちはよく分かります。 個人的にはクリスマスに涼太郎からするだろうプロポーズを断って島田さんとハッピーエンドの方が明里にとっては良き選択かと思います。
2025/03/03 05:4225返信2件
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