結婚願望がない彼氏と迎えた、30歳の誕生日。女がショックを受けた“ある理由”(2/3)[東京カレンダー

― 私、同棲しようって話になった時に、結婚も視野に入れて…っていう話、したよねぇ…。

将来結婚したら、渋谷区じゃなくて文京区もいいかもしれない。

ちゃんと結婚する時は、シングルベッドをくっつけるんじゃなくて大きなベッドを買い直したい。

どういう会話の流れだったかは覚えてないけれど、同棲を始める時にそんな会話は何回かふたりの間で出たのだ。

でもそれは、亮太郎にとっては「ずっと先、いつかもしもそうなれば…」程度の話だったみたい。私にとっては、「目前の未来」だったというのに。

同窓会があったあの夜、歩道橋の上で「今はまだ全然考えられない」と言われたあの瞬間。

足元がぐらりと大きく揺れたように感じたのは、きっと歩道橋のせいじゃなかった。

先週迎えた私の30歳の誕生日を、亮太郎はきちんとお祝いしてくれた。

家にはお花。お互いに興味のあった美術展を見に行って、カフェに行って、ぶらぶら服を見たりして…。

それから亮太郎がディナーに連れていってくれたのは、マンダリンオリエンタルにある『タパスモラキュラーバー』だった。

理科の実験みたいな斬新なお料理の数々は、どれも綺麗で面白くて最高に美味しかったし、カウンターの席での一連のコースはまるでアートパフォーマンスみたいで、すごく楽しかった。特別な誕生日の夜になったと思う。

だけど…。

めくるめくワクワクに満ちたディナーは、亮太郎がゆっくり私たちふたりの将来を語り合うためじゃなく、一緒にその場を楽しむために選んでくれたもの。

少なくとも、私はそう捉えた。

結婚なんて、まだまだ先。そう亮太郎に仄めかされている気がした。

亮太郎と私。すぐ近くにある未来に対しての考え方の違いを、目前に突きつけられたように感じた誕生日だったのだ。

― はあ…、人生って計画通りにいかないなぁ。

「同棲＝結婚の予行演習」だとすっかり思い込んでいた先月までの自分の単純さが、情けないうえに恥ずかしい。

誕生日プレゼントに貰ったものは、指輪ではなく、エルメスのブレスレットだった。欲しかった物だし嬉しいけれど、どこか虚しくて…そんな自分にもうんざりした気持ちになってしまう。

― ソラに会いたいよ…。

対談はすでに予定時刻終盤に差し掛かり、内容はほとんど雑談じみたものに変わっていた。

私がボンヤリと空にいる愛犬のことを思って現実逃避をしている間も、菜奈と島田さんはワイワイとなにやら楽しげに会話を弾ませている。

「へえー、菜奈さんはもうご結婚されてるんですね！羨ましいなぁ」

「そうなんですよ。まだ子ども産む気全然ないよって言ったんですけど、夫がそれでもいいって言ってくれて、条件が合ったので。島田さんはご結婚は？」

「いやぁ、僕は今までほんと仕事ばっかりだったので…。

いい人がいればすぐにでも！って、20代の頃から思ってるんですけどね。仕事に理解のある、自立した女性だったらなおさら」

嫌でも耳に入ってくる島田さんの結婚観を聞きながら、私はまた、心の中で深いため息をついた。

「では最後に御三方揃って、お写真数枚撮らせてください」

カメラマンさんの呼びかけに、ウジウジとした思考の沼から急に引き上げられた私は、慌てて前髪を手櫛で直して白い壁の前に立つ。

「こんな感じでいいですか？」

はからずしも立ち位置が真ん中になってしまい、島田さんの低いコントラバスみたいな声がすぐ隣から聞こえた。

低くて優しい、落ち着いた声。つい、さっき島田さんが「20代の頃から結婚したかった」と言っていたことが脳裏をよぎる。

― 20代でもこんなふうに思う人はいるのにな。でも、亮太郎は違うんだ…。

気を抜くとすぐに、頭の中はその悩みに埋め尽くされてしまう。

私は今、カメラの前でうまく笑えているのだろうか？