マティーニのほかにも Vol.8

エアコンの設定温度でケンカに…。夏のお家デートで露呈した、29歳男の本性

「なにその言い方。ひどくない?」

「えー、そうかな。ひとんちに来といて空調勝手に弄るのもひどくない?…てかごめん、キミ名前なんだっけ?」

「…うっざ。ありえないんですけど…!」

よほど腹を立てたのか、女は怒りで顔を赤くしながら手早く服を身につけ、大きな音を立てながら部屋から出ていく。

しかし、快利は全く気にせずにひらひらと手を振る。

「バイバーイ。俺のモットー、去るもの追わず…ってね」

そしてハッと真剣な表情を浮かべたと思うと、ひとりつぶやくのだった。

「…待てよ?冷蔵庫にビールあったよな。このコーヒー、この前教えてもらったカフェ・コン・セルベッサにしちゃおっかな!」


剥き出しの不機嫌をぶつけられても飄々としていられるのは、快利にとってはこういった出来事が、ごくありふれた日常の風景だからだ。

慶應SFC在学中に立ち上げたIT関連の会社を、27歳の時にバイアウトしてから2年。投資が順調なこともあいまって、はっきり言って快利の生活は悠々自適だ。

ひとり気ままな生活を送る分には十分すぎる財布事情なため、正直なことを言えば、働く必要性も感じていない。

それでも表参道で小さなアパレルブランドを経営しているのは、「ファッションが好き」という半ば趣味の気持ちと、“ある人”に勧められたからという理由が半分。

そしてなにより、快利が何よりも、人と関わり合うことが好きだからなのだった。

気の合う仲間たちと遊びのようにビジネスを営み、夜は毎晩のように飲み歩く。気心知れた仲間だけで騒ぐのも好きだし、バーやクラブで出会ったばかりの、名前も知らない人たちと仲良くなるのも大好きだ。

当然今朝のように、名前も知らない女の子と一夜を共にすることも珍しくない。

けれど、人間も女の子も大好きなのにもかかわらず…特定の恋人を作る気は、これっぽっちも無いのだった。

― だって女の子って、可愛くて楽しいけど…めんどくさいんだもんなぁぁ〜…!

見よう見まねで作ったカフェ・コン・セルベッサを味わいながら、快利はふとベランダの外に目をやる。

代々木の閑静な街並みが広がる低層マンションのベランダには、所狭しと鉢植えが並んでいて───そのほとんどが葉をカラカラに枯らし、土を渇ききらせていた。

たった1ヶ月サボっただけで、植物がこうなってしまうのだ。もっとマメに手をかけ、愛情を注がなくてはならない女の子なんて、快利にはとうてい荷が重すぎる。

― 仕事だってめんどくさいのに、真面目に女の子の相手するなんてマジでムリムリ(笑)。…それができなくて、9年付き合ったアイツにも見限られたんだから。

ベランダの土よりも乾ききった笑いを浮かべると、快利はチラと時計を確認する。

時計の針は、すでに11時半だ。13時に店をオープンさせるためには、代々木から表参道までそう遠くはないとはいえ、そろそろ出かける準備をしなくてはなけない。

快利は、枯れ果てたベランダガーデニングを見てチクリと痛む心を吹っ切るように、手元のグラスを一気に飲み干す。

そして、空になったグラスを食洗機に放り込むと、自分の心に何枚もの鎧を着こむために、クローゼットへと向かった。



ショップでの1日の業務をどうにか終えた快利は、張り付いたような笑顔を浮かべていた。

「え〜でもさでもさ、カイリくんって自分でブランド持ってるの、超〜カッコいいよねー!」

「いや〜、そうかな?まあ楽しいこともあるけど、めんどくさいことのほうが多いよ」

「ええ〜そうなのぉ?でもでも、ウチはカイリくんめっちゃすごいと思う!だって、ウチの元彼なんてね…」

渋谷の雑居ビルの中にある小さなカウンターバーは、きっと観光客用なのだろう。ときおり炎や金粉などを駆使したフレアバーテンダーの真似事のようなパフォーマンスを披露しながら、毒にも薬にもならないようなカクテルを提供している。

隣に座ってひっきりなしに元カレの悪口を言っているのは、たしか、TikTokでインフルエンサーをしているニナちゃん…とか言っただろうか?

閉店間際の20時にカイリの店に飛び込んできたまま意気投合し、ニナちゃんのオススメだというバーに流れてきたものの──。

延々と続く身のない話と、騒がしい店内。そしてなにより効きの悪い空調に、快利は珍しく苛立ちが募るのを自覚する。

― あ〜…。やっぱ女の子って、めんどくせぇな〜…。

いつもなら、アルコールさえ入ればどんな話でも楽しめるはずなのに。

そうならないのは今朝、ひさしぶりに“アイツ”のことを思い出してしまったこともあるのかもしれない。

― なんでだろう。アイツ…由紀には、こんなふうにイライラすることなんて、全然なかったな…。


由紀。

それは、快利が長年付き合っていた元恋人の名前だ。

大学で同級生として出会い、9年もの時を一緒に過ごした由紀は、アパレル経営の背中を押してくれたその人でもある。

自由奔放な快利の気質についに愛想をつかしてしまったのか、1ヶ月ほど前に突如別れを突きつけられてしまったものの、由紀は一緒にいた9年の間、快利の前ではつまらない愚痴など一切吐くことはなかった。

物静かでありながら、いつも優しい笑顔を浮かべ、どんなときでも快利のことを応援してくれた由紀。

彼女のことを思うと快利の胸には、いてもたってもいられないようなムシャクシャした感情が湧き起こる。

ましてこの、妙に生ぬるい雑居ビルの地下の小さなバーでは、その行き場のない苛立ちは増幅するばかりだ。

汗ばむシャツ。

上滑りする会話。

ため息のような空調。

名前も定かでない女の子──。

押し寄せる不快感のなかで、快利ははたと思いつく。

この、立ち込める暗雲のような気持ちを払拭する、たった一つの方法は…。

― そうだ。こんなときこそ、モヒートを飲めばいいんだ。

この記事へのコメント

Pencilコメントする
No Name
最近、今まで以上にホーム画面がごちゃごちゃしていて非常に見づらいです。  本日更新されたばかりのこの連載が下の方で埋もれてるなんて残念過ぎ。ストーリータブがなくなり小説だけで絞れなくなったし、水〜土曜は隔週更新か新しい連載が始まらないまま読める小説がない日も多く、更新に気付かずスルーしてしまう読者が大勢いるかと思います。事実、コメントや👍が恐ろしく少ない。
編集またはweb担当の方、是非改善をお願
いしたいです。  ※ストーリーは良かったです。
2024/07/31 08:0354返信3件
No Name
失ってから気づくこともあるからねぇ。 私はいい話だと思ったし彼女側の話を読むのも楽しみ!
毎週更新してくれたら嬉しいけど😊
2024/07/31 05:2234
No Name
本文の内容とは少し逸れるけど、同じ女性から見ても極度の寒がりで冷え性な人は嫌だから快利がイラッとする気持ちはとても理解出来た。薄着のままでオフィスの冷房を勝手に消すとか勘弁して欲しい! 笑
2024/07/31 05:3333返信6件
もっと見る ( 16 件 )

【マティーニのほかにも】の記事一覧

もどる
すすむ

おすすめ記事

もどる
すすむ

東京カレンダーショッピング

もどる
すすむ

ロングヒット記事

もどる
すすむ
Appstore logo Googleplay logo