2024.05.14
今日、私たちはあの街で Vol.13翌週の金曜日。18時半ぴったりに孝一が『THE APOLLO』へ到着すると、アカリがすでに着席している。
「孝一さん!今日はお誘いありがとうございます。ここ前から気になってて…素敵ですね」
「よかった。おしゃれな店だよね。うちの会社欧米人が結構いるんだけど、地中海料理ってヘルシーなイメージでみんな好きらしくて。何人かに勧められたんだ」
「グリークパイにムサカ…ハムスもある!私、ハムスを『CICADA』で食べてから大好きなんです。嬉しいな〜」
瞳を輝かせながら喜ぶアカリの様子に、孝一の自尊心が満たされていく。
美しい料理のプレゼンテーションに小さく歓声をあげ、めずらしい料理の登場に好奇心に満ちた表情を見せる彼女に、年甲斐もなく惹かれてしまう。
― あぁ。このままずっと、アカリを失いたくない…!
バツイチの孝一は4歳年下の直子と6年交際を続けており、現在同棲中の身だ。
ここ数年、直子からの結婚に向けた圧は強くなり、同棲を始めてからはより顕著になっていた。
帰宅して寝るまでの間や、たまの休日。直子と顔を合わせていると、何の話をしていようと、いつのまにか将来設計の話に持っていかれてしまう。
ゆっくり休みたい時ですら「将来、将来」と急かしてくる直子に対し、孝一は苦々しい想いを抱き始めているのだった。
前妻との間に子どもはいないし、互いの両親にも何度か会っている。
直子と結婚しない理由は、これといって見当たらない。その気になれば明日にでも籍を入れることは可能だ。
― でも俺はもう、結婚そのものに興味がないんだよなぁ…。
結婚生活が死ぬまで順調ならいい。でも、またうまくいかなくなったら?
籍を入れて、相手の家族ごと人生を背負って、抑圧の中でじりじりと心をすり減らせ、しまいには弁護士まで立てて縁を切る…。そんな面倒なことを、二度としたくないのだ。
「今の生活が幸せ」
その一言を免罪符にして、孝一は結婚をせがむ直子から逃げ続けている。
そんなタイミングで孝一の前に現れたのが、アカリだった。
6年も一緒にいる直子と比べるのは酷だとわかっている。でも孝一は、自分の行動や言葉ひとつひとつに新鮮で瑞々しい反応をしてくれるアカリが、可愛くて仕方ない。
― 直子の存在について、アカリには一切言っていない。この楽しい関係に水を注したくないし、アカリには関係のないことだ。
そんなことを考えている間に、メインのラムショルダーを食べ終え、赤ワインが1本空いた。アカリはもうほろ酔いの様子だ。
「アカリちゃん。下の階に『GRANNY SMITH』があるから寄ってみない?前に世田谷公園の近くで見かけたアップルパイのお店」
「あの可愛らしいお店!かなり並んでましたね」
「銀座の店舗は穴場みたいで。覗いてみようよ」
会計を済ませて地下1階まで降りると、カフェ入り口のショーケースに美味しそうなパイが並んでいる。
「どれも美味しそうですね…」
「そうだね。気になるの、全部買っちゃおうか。余った分は明日のアカリちゃんのおやつに」
そう言って孝一がオーダーしたアップルパイの包みを、アカリが受け取る。
ずっしりとした重みを感じるアップルパイの袋をぶら下げて、ふたりは親密な視線を交わした。
食事のあと、まだアカリが飲めそうなら二軒目に行く。もう満足な様子であれば、デザートを買って、ふたりきりでゆっくりする。
いつしかこの流れが、ふたりの定番となっていた。
アップルパイを持っていない方の手で、孝一はアカリの手に触れる。すると今まで絶妙な距離をとっていたアカリが、安心したように孝一の手を握り返す。
そんなふうにして東京の夜景に溶け込んでしまうと孝一は、自分には「直子」という帰るべき場所があることを、すっかり忘れてしまうのだった。
男性の年収があれば親子の差だろうが孫の差だろうがいけると思うのかな。
バカじゃない。
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