30.5歳~女たちの分岐点~ Vol.11

「20代は会社をうまく活用すべき」サイバーエージェント退社後、29歳でパリ短期移住を叶えた秘訣

「30.5」歳、それは女性がキャリアチェンジする平均年齢。

これからの人生をどう生きるかを考える、大きな分岐点といっていいだろう。

本連載では、現在活躍中の女性たちに30.5歳を起点に、何に悩み、決断し、どんな行動をしていたのかをインタビュー。今回は、30.5歳真っただ中の砂川星来さんに登場してもらった。

ソーシャルメディアが大好きだった彼女は慶應義塾大学卒業後、インターネット広告代理店最大手のサイバーエージェントに新卒入社するが、「このままでは自分はダメになる」と社会人2年目の24歳で独立。

その後29歳で、縁もゆかりもコネもないフランス・パリに短期移住した。

「生き急いでいる」と自ら称するほど、彼女の半生はすでに濃密。一般的な決断期といわれる30.5歳はどんなターニングポイントとなっているのか。

砂川星来さんの「30.5歳」に迫る。


取材・文/辻本幸路


▶前回:テレ朝アナ当時の前田有紀は「自分が空っぽに思えた」。5年悩み続け退社、起業家への“可憐”なる転身

今回、お話を聞いたのは砂川星来さん


1993年生まれ、沖縄県出身の30歳。株式会社HOLIC(ホリック)代表取締役、ライフスタイルプロデューサー。

中学時代から書いていたブログが高校生の頃に沖縄県アクセスランキング1位を記録したほか、慶應義塾大学在学中にローンチした沖縄の最新トレンドを発信するInstagramマガジン『OKINAWAHOLIC』が当時フォロワー3万人を達成するなど、学生時代から精力的に発信活動をする。

2017年サイバーエージェントに新卒入社。翌2018年、24歳で独立し、株式会社HOLICを立ち上げる。

28歳のときに、1年間ヨーロッパを周遊しながら日本との2拠点生活をしたのち、2023年からはワーキング・ホリデービザでフランス・パリに短期移住しながら、法人のブランディングやPR事業を手がけ、自社メディアの運営や暮らしと仕事に向き合う「ライフデザインアカデミー」を開催している。

●INDEX

1.30.5歳をパリで迎えるとは思っていなかった

2.サイバーエージェントで気づいた「自分の取り扱い説明書」を作る意義

3.フランス人の働き方から学んだこと

4.海外を視野に入れるなら20代でやるべきこと


30.5歳をパリで迎えるとは考えていなかった


―― 砂川さんは30.5歳を前に、29歳からパリ在住で仕事をされています。もともと考えていたライフプランだったのでしょうか?


いえ、パリに来たきっかけは、もっと軽い気持ちだったんですよ。

高校時代にオランダに留学していたこともあって、なんとなく海外にもう一度住みたいな、日本の仕事をしながら世界中どこでも暮らせるようになりたいな、と思っていて。

なので、一昨年はビザなしでヨーロッパ各国を周遊して、よさそうな土地があれば短期移住しながらリモートで仕事をするという暮らしを半年ほどしていました。

イギリス、イタリア、フランス、ギリシャ…などいろいろ回ったんですが、その中でパリが一番いいなと思って、ワーキング・ホリデービザを30歳になる前に取得しました。

ただ、住めば住むほど「パリに住み続けたい!」という気持ちが強くなってしまって(笑)。

今は“世界中どこでも”じゃなく“パリに住む”が最優先になっていて、そのためには日本の仕事だけじゃなく現地の仕事もしっかりしていかないと、と感じています。これはちょっと想定外でした。

―― パリの何がそれほど惹きつけるのでしょう?


自分の感性が動くような、好きな景色の中で暮らしたい、と思ったのが大きいです。

人生は一度きりなので、今はパリをとことん知り尽くしたい、パリジェンヌとして数年を過ごしたい、という欲望に従ってチャレンジしています。

あとフランスは、観光にしてもラグジュアリーブランドにしても、マーケティングがとても上手な国だと思っていて。私のそういったスキルを向上させるのにも、ぴったりの環境かなと思いました。


―― 起業は、いつから目指していたんですか?


もともと母方の祖父が会社を経営していて、沖縄の戦後復興の一躍を担っていたこともあって、憧れがありました。

祖父は海外留学を経験するなど国際的視野があって、従業員の家族の人生も背負うような面倒見のいい人だったんです。

だから祖父みたいに誰かの人生に影響を与えられる人間ってかっこいいな、いつか私も起業したいなと幼少期から漠然と思っていました。

―― 転機となったのは、高校2年生で行ったオランダ留学だったとか。


はい、実は県の留学制度の派遣生に選ばれた直後に、母の乳がんが見つかって、ほぼ同時に父も脳卒中で倒れたんです。

いろいろ大変だったんですが、やはり留学はしたかった。なので「1日も無駄にできない」という決死の覚悟で飛行機に乗りました。

その後母は亡くなり、父は半身不随となりました。なので人生の有限性については、同世代の友人より強く感じているんです。と同時に、早く経済的自立をしたいという気持ちも芽生えましたね。

「私は頑張らないといけない!」という気持ちが先走るクセは、多分この頃からです。

上京後の大学の学費は祖父に援助してもらっていたこともあって、わざわざ出してもらっているんだからちゃんとしなきゃ、と思っていました。周りの同級生に「学生だからって遊んでいる場合じゃないよ」と意見して険悪な空気になったこともありましたね(苦笑)。

―― 高校生でずいぶん壮絶な経験を…。よほどの覚悟を持って大学進学されたのがわかります。


とはいえ、あまり要領は良くない方だったんです。

沖縄では結構頑張ってきたつもりでしたけど、大学では周りの子たちが高校時代からやりたいことを見つけて課外活動をやっていて、挫折にも近い衝撃を受けました。

それで私も、学校の枠を超えて何かを創造したいと、模索し始めたんです。

たとえば、素敵なコンセプトだなと思ったWebメディア『NEXTWEEKEND』に直接「働かせてください」と問い合わせて、インターンを募集していなかったところで働かせてもらったり、その経験をもとに沖縄の最新スポットを紹介するInstagramマガジン『OKINAWAHOLIC』をローンチさせたりしました。

仕事自体はやりがいがあったので本業にしたいと思ったんですが、『OKINAWAHOLIC』は3万人までフォロワーを伸ばしてもマネタイズができなくて。

それで一旦、20代前半は“修行”しよう、と業界最大手のサイバーエージェントを受けることにしたんです。


―― ただせっかく入った大企業を2年目で退職。もったいないというか、少し早いようにも感じますが、迷いはありませんでしたか?


今となってみると、正直、20代は会社をうまく活用しながら社会人としての底力を高める時期なので、もうちょっとサイバーエージェントで学ばせてもらいたかったな、と思うことはあります。

でも漠然と昔から、24歳で独立したいなと考えていたんです。

それこそサイバーエージェントの藤田晋社長や、インターンでお世話になった『NEXTWEEKEND』社長の村上萌さんなど、尊敬する方々が24歳で起業されていますし。

就職するのはまたいつでもできるけど、早くチャレンジした方が試行錯誤できると思えたんです。



オランダ留学と母の看取り、父の看病が重なった高校時代。

命の有限性を感じた彼女は、「どうすればこの時間を最大限に有効活用できるか」を考え抜き、大学進学中も経済的自立のための活動を始めていた。

そして修行のつもりで入社した大手企業サイバーエージェントでは、予期せぬ生活が待ち構えていた。一体彼女に何が起こったのか?


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