2023.12.26
ハイスペヒストリー Vol.8東京で綺羅星のごとく光を放つ「ハイスペック」な男女たち。
得てして、世間は彼らの結果や手にするお金ばかりに注目しがちだ。
しかし、今に辿り着くまでの過程を丁寧に辿ってみると、どうだろうか。
意外にも彼らの「成功」の秘訣が見えてくる。
当連載は、読者と共にハイスペ男女たちの成功のルーツを探る。まさに発見に満ちたノンフィクション・ドキュメンタリーだ。
取材・文/風間文子
▶前回:侍ジャパン社会人代表の4番打者が登場。野球一筋だった彼が引退後、企業のCOOまで上りつめた理由
Case 8. 高橋 亮太さん(35歳)
今やSNSをはじめ、Webを活用するビジネス形態が当たり前のようにある。一方で競争は激しく、昨日の勝者が今日の敗者になることも何ら不思議はない。
そんな世界の真っ只中に身を置きながらも、躍進する1人の男性がいる。ULTRA SOCIAL株式会社のCEO・高橋亮太さん(35歳)だ。
彼は2022年に同社を設立。主にSNSを活用したマーケティング支援を提供しており、創業1期目から黒字化に成功。
続いて2期目も黒字となり、売上は前年比で9倍と爆発的な成長を遂げている。そして現在も企業からの問い合わせが殺到しており、さばき切れないほどだ。
では、彼は他と何が違うのかだが…。
高橋さん曰く「僕が成果を出せているのは、ある“こだわり”を積み重ねていった結果、日本よりも3年先を行くビジネスモデルに出合えたからです」
それでは、彼のルーツを探っていこう。
2012年4月、横浜国立大学経営学部を卒業した高橋さんの姿は、大阪にある家電量販店の店頭にあった。
シャープ株式会社に入社した全新入社員に最初に課せられたのは、取引先の家電量販店の店頭に立ち、自社商品を売るという“丁稚奉公”だった。
新卒で考えていたのはシャープで社長になること
高橋さんは言う。
「当時の僕の頭の中には、現在自分の会社でやっているビジネスモデルの一片もなかったですね。ただ、社長になりたかった。誰もが知るシャープという会社で社長まで上り詰める、それが僕の考えていたことでした」
なぜ、社長にこだわるのか。その問いに対して、彼はこう答える。
「僕には少し変なところがあって、とにかく自分の存在意義とか存在価値を示すことに強い執着心があるんです。それをシンプルに体現できる方法が『1番になること』だった。社長に固執するのも、そうした理由です」
冗談のように聞こえるかもしれないが、彼はいたって本気だった。「1番になること」それこそが、高橋さんが言う“こだわり”だったのだ。
「新卒時、シャープ以外にもNTTや味の素、読売新聞といった企業からも内定をもらっていました。それでもシャープを選んだのは、当時、同社が歴史的な経営危機に陥るタイミングだったからです。そうした会社であれば、1番上までのし上がれるチャンスがあるのではと考えた」
そうして新入社員に課せられた自社商品を売る販売では、80人いた同期の中でダントツで売り上げトップを叩き出す。
しかし、そんな幸先の良いスタートを切りながらも、高橋さんは入社して1年6ヶ月でシャープを後にしている。
「販売員を経て配属された先は海外営業部でしたが、日々やっていたのは上司の蔵書を整理して、同部署の先輩たちに貸し出す図書係のようなことばかり。当時のシャープには、想像していた以上にまともな仕事がなかった。
一方、家電量販店で販売員をしている時に痛いほど感じたのは、当時のシャープが追い求める商品と、実際に消費者が欲しいと思っている商品とのニーズが全然合っていないということ。
要は、良い商品を作っていれば売れるっていう時代はとうの昔に終わっていて、モノが溢れ返る時代だからこそ、お客さんが自分から蛇口をひねりたくなるような、そんなマーケティングがしたいと思うようになったんです」
高橋さんは、他人が作った会社でトップに上り詰めるよりも自分で起業することを視野に入れ、アメリカに本社を置くマーケティング企業、カタリナ マーケティング ジャパン株式会社へ転職する。
同社は国内スーパー等のPOSデータを5割以上も保有しており、そのデータを分析したうえでクライアントのマーケティング支援を行う会社だ。
そこで彼は営業として結果を出しながら、マーケティングにおける重要なロジックであったり、フレームワークをほぼ全て学んだという。
そして、転職して約6年が経った2018年のことだ。29歳になっていた高橋さんのもとに1通のメールが届く。
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