2023.12.01
男と女のブランルージュ Vol.2今夜も、汐音が愚痴を吐き、彰人が慰める――といういつもの展開が繰り広げられた。
「ねぇ、汐音。ドメーヌ・アラン・ジョフロワを頼まない?」
不意に彰人が提案してきた。
「え?」
「ドメーヌ・アラン・ジョフロワ」
「いや、聞こえてる。どうしたの急に?」
彰人はワインに詳しくない。
いつもは「白」か「赤」、がんばっても「泡」という最低限の言葉でしかワインの種類を表現しない彰人が、銘柄を言うことに汐音は驚いた。
「彰人、ワインの勉強してるの?」
「してないよ」
汐音が尋ねても彰人は煙に巻く。何かしら調べたはずなのに。
「前から飲んでみたかったんだよね。ドメーヌ・アラン・ジョフロワ」
「そうなんだ。それ、たしかシャブリだよね?」
思わぬ質問をされたのか、彰人はきょとんとする。
「えっ?シャブリってなに?」
フランスのシャブリ地方で作られるワインのことをシャブリと総称している。
アラン・ジョフロワは、シャブリの作り手として知られている。ドメーヌ・アラン・ジョフロワを知っていながら、シャブリを知らないなんてことはありえない。
― 彰人、絶対に何か読んだか調べたんだよね。
汐音は内心で笑ってしまう。
馴染みの男性店主が、カウンター向こうのキッチンから声をかけてくる。
「ウチにあるのは、まだ若いからカラフェに開けたほうがいいと思うよ」
汐音が答える前に彰人が言う。
「カラフェに開けてください」
ワインの銘柄だけじゃない。カラフェという容器の存在を彰人が知っていることに驚いた。
汐音は、現在の部署に配属されて初めて知ったのに。
呆気に取られている汐音を見て、彰人は嬉しそうに鼻を鳴らして得意げに続けた。
「ドメーヌ・アラン・ジョフロワは、栓を開けてすぐは若くてイマイチなんだ。まだ寝てるって感じ?
でもカラフェに開けて空気に触れさせると目を覚まして、本来の美味しさを呼び起こすんだよね」
「そ、そっか…」
「でも、理想はカラフェに開けて、一晩寝かせるんだ。そうすると花が開く」
「う、うん…」
「今の汐音もそうじゃないかな?」
「…え?」
突然、話題が急カーブして汐音は驚く。
「汐音は今、カラフェに入って一晩寝かされてる状態なんだよ。でもきっともうすぐ花開く。今は我慢のときだよ」
彰人がとても大事なことを、なるべくさりげなく言おうとしていることに、汐音は気がついた。
「だから今、自分が置かれた場所で、もうちょっと頑張ってみない」
それは彰人なりの精一杯の励ましだった。
汐音は、思わず笑ってしまう。
「な、なんだよ…なにがおかしいんだよ…」
彰人は赤面している。
「ごめん。うん。ありがとう」
汐音は笑いながらも、ちょっと泣きそうになった。
◆
22時。
いつもより少しだけ早くビストロを出て、汐音と彰人は横並びで東京駅まで歩いていく。
途中、二重橋前駅近くの赤信号で二人は止まった。
汐音は、さっきのカラフェの例え話を思い出す。
― あれって、まるで私たちのことみたいだ。
自分たちは新卒3年目でワインの知識もないただの子どもだった。
まるで栓を開けたばかりの若いワインで、カラフェに開けられて一晩寝かされているのだ。
きっと夜が明ければ花が開く。子どもから大人になる。
汐音はずっと、失敗を恐れず何度もチャレンジするのは、子どものやることだと思っていた。
― でも、本当の大人こそ一歩踏み出す勇気を持っているのかな。特に恋愛においては…。
2年以上、愚直に励まし続けてくれた彰人と近づくために、汐音は、信号待ちの間に、隣にいる彼の左手を握った。
彰人は少しだけビクッとして驚いたが、何も言わず、こちらに目もくれず、ギュッと汐音の右手を握り返した。
その反応は、まるで子どものようだ、と汐音は思った。
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7年付き合った彼女にやっとプロポーズした男が登場!
この連載いいね。ほんわかあたたかい気持ちになれるし、港区港区してない所もまたいい!
久々にシャブリ飲みたくなったなぁ。そのビストロでどんなメニューと合わせたのかも書かれていたら、更に良かったかも。 まぁ生牡蠣とかシンプルな野菜や白身魚のグリルには本当によく合うね。
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