SPECIAL TALK Vol.100

~違う自分に会いたいからこそ積み上げたものを崩し、新境地を目指す~


芸能界とは無縁の家庭に生まれる


金丸:早速ですが、お生まれはどちらですか?

中村:東京の下町です。もともと江東区の深川に実家があって、成人してからもしばらくは実家暮らしをしていました。

金丸:では東京生まれの東京育ち。ご両親も東京のご出身ですか。

中村:両親は佐渡島の生まれです。同じ中学校の出身で、ふたりとも東京に出てきたんです。

金丸:中学の同級生同士でご結婚されたなんて、なかなかドラマチックですね。

中村:私は3人きょうだいで、1歳下に弟、8歳下に妹がいるんですが、両親は3人の子どもを育て終わって、仕事もリタイアしたタイミングで、佐渡に帰りました。

金丸:今はもうのんびり過ごしてらっしゃるんですね。お父様はどんなお仕事をされていたんですか。

中村:サラリーマンです。IT企業で働いていました。長く総務の仕事をしていたようです。

金丸:大企業の総務って、めちゃくちゃ大変なお仕事ですよ。相当、堅実で忍耐強くないと務まらないと思います。

中村:そうですね。父は堅実だと思います。

金丸:そんなご家庭で育った中村さんが芸能界で活躍しているというのは面白いですね。学校は公立ですか?

中村:小学校は江東区立の学校でしたが、中高は私立の目白学園に通いました。今は目白研心と名前が変わって男女共学になっていますが、私が通っていた時代は女子校でした。

金丸:ということは中学受験を経験されたんですね。

中村:はい。小学校の先生が「目白学園ってすごくいい学校だよ」って後押ししてくれました。目白学園は部活動が盛んで、特にチアリーディングの名門校だったんです。高校のチアリーディング部は日本一に輝いたこともあるし、ベスト8には確実に入るような強豪校でした。

金丸:では、中村さんもチアリーディングを経験されたんですか?

中村:高校から始めました。私の学年にチアリーディング部の顧問の先生がいて、強く勧められました。「今しかやれないことを精一杯やりなさい」って。

金丸:「今しかやれないこと」といっても、選択肢はいろいろあると思いますが、なぜチアリーディングを選ばれたんでしょうか。

中村:私がまだ中学生の時に、高校のチアリーディング部が全国1位になったのを見たんです。先輩たちが本当に輝いていて。どうせやるならすごいところでやりたいというのはありました。

金丸:格好良かった?

中村:はい!チアリーディングってすごいんですよ!ジャンプやモーション・ダンスなど個々人が魅せる技もあるんですが、やっぱり合体して大きな技を出すというのが醍醐味です。3、4人でひとりを持ち上げて高く飛ばすバスケットトスという技があって、飛んだ選手は空中で回転したり、美しいポーズを取るんです。見ているだけで高揚します。競技としてのチアリーディングの本番はたった2分半しかありませんが、日頃から練習を積み重ねて、その2分半に全力を注ぐ姿は本当に格好良かったですし、自分もその輪の中に入りたいと思いました。

金丸:スポ根のストーリーが生まれそうですね。

中村:そうですね。私の根っこの部分はチアリーディングで相当鍛えられたと思います。強豪校で「常に1番を目指す」という環境にいたので、こう見えて、割とタフなんです。

金丸:指導も厳しかったんですか。

中村:何せ日本一を目指すチームに入ったわけですから厳しかったですね。練習よりもまず考え方や心の持ちようを叩き込まれます。校則もきちんと守らなきゃいけません。イケイケだった先輩たちも入部と同時に髪を結んで、短くしていたスカートの丈を戻していました。

金丸:中村さんも先輩たちの様にイケイケだったんですか?

中村:いやいや、そんなことないですよ(笑)。でも、東京のごく普通の女子高生ですから、それなりに流行りを追ったり、オシャレをしたいという気持ちはありましたね。

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