美しすぎる女
地味なトレーナーを着ているにもかかわらず、伊集院美麗の容姿は、僕が今まで見た女性の中でもズバ抜けて美しかった。
真っ白な肌に、引き寄せられるように大きな目。黒目がちな瞳を引き立てる長いまつげ。幼い頃、母に何度も読んでもらった童話。そのヒロインの挿絵が脳裏に浮かぶ。
「はじめまして。弁護士の広沢です」
一瞬の沈黙が流れる。ピンク色の唇が、かすかに震えているのがわかった。
「寒いですか?」
僕の問いかけに、彼女はゆっくりと口を開く。
「…緊張してしまって。北海道生まれなので、寒さには強いんです」
「奇遇ですね。僕も地元は北海道です」
「知っています。それで今回お願いしたんです」
出身地が一緒だったこともあり、美麗とすぐに打ち解けることができた僕は、さっそく話を聞かせてもらうことにした。
あの日
「あれは、今年一番の寒波が押し寄せた25日の夜。20時頃のことでした。私は付き合って1年になる修平と、渋谷の道玄坂を歩いていたんです。
彼は、お酒を飲むと暴力を振るう人で…。この日も、どこかのホテルで強引に体を求められたあと、私の態度が気に入らないと2~3回殴られました」
そう言って目に涙をにじませる美麗の首を見ると、大きなあざがあった。
「それは、ツラかったでしょう…」
「それでも私は、修平を愛していました。彼の放送作家としての才能に惚れ込んでいましたし、暴力や女癖の悪ささえも、彼がいい作品をつくるために必要なことだと…。彼は私の王子様だったんです」
王子様。まるで少女のような表現に拍子抜けしていると、彼女は眉間にシワを寄せ、絞り出すように言った。
「でも、あの“秘密”だけは許せなかった」
「…秘密?」
「はい。修平は既婚者だったんです。彼がシャワーを浴びている間、スマホの通知が鳴って。それは、奥さんからのLINEでした。奥さんと娘がいることを私に秘密にしていたんです」
美麗の大きな目から、一筋の涙が流れる。
「…無理せず、ゆっくり話してください」
涙をぬぐい顔をあげた美麗は、僕の目を見つめた。すると、まるでその視線に射貫かれたかのように、僕は彼女と目を合わせたまま動けなくなってしまう。
「スマホを見られたことに気づいた修平が、急に殴りかかってきたんです。とっさに私は、ペンケースに入っていたカッターを取り出して…」
彼女は声をふり絞ると、細い肩をふるわせながら嗚咽し、アクリル板に頭を打ちつけ始めた。接見室の中に、バン!バン!という鈍い音が響く。
「先生、私をここから出して!」
美麗は警察官に両腕を抱えられ、部屋を出て行った。
◆
「へぇ、なかなかディープな事件だね」
「彼女はこれまでにも、不倫相手であることを隠されて付き合っていたり、二股をかけられていたことがあったらしい。こんなに美しい女性なのに、ひどいもんだよな」
次の日の昼。事件の概要を話すと、杏奈は興味深そうに議事録と美麗に関する資料を読んでいた。
「…依頼人が絶世の美女だったから、いつも以上にやる気になってる、ってことね」
「いやいや、違うよ。彼女は既婚者であることを隠されていたうえに、暴力まで振るわれていたんだよ?彼女の首にはあざも残ってたし」
「冗談よ。ちょっと嫉妬しただけ」
頬づえをついた杏奈の手に、指を重ねる。
「杏奈さ。この仕事が終わったら、結婚しよう」
「やだ、職場でプロポーズ?やめてよ」
「じゃあ、また今度。あらためて」
すると彼女は頬を赤く染め、デスクへと戻っていった。
この記事へのコメント
そっちのほうが怖い
会った男性にいちいちカッター持って迫ってたら怪我人だらけになるって。それこそ怖い女の噂になるよ。