なんと彼は、綾香が一度だけ東京で一緒に仕事をしたことがあるパリ在住のアートディレクター・明石一樹だった。
彼のテンションの高さに驚いたものの、不安を救われたことに綾香はホッとする。
「こんなところで会うなんて、びっくりですね。道に迷っちゃったんです」
「任せておいて、案内するよ!」
一樹は久々の再会にもかかわらず、綾香を丁寧にエスコートする。
ついでにと、リュクサンブール公園やサン ジェルマン デ プレ教会まで案内してくれた。
見知らぬ土地で日本人に会えた安堵感と一樹の気さくな雰囲気もあり、心を許してしまう綾香。話が弾んだついでに、彼女はパリを訪れた理由まで彼に打ち明けていた。
別れ際、綾香は一樹にディナーに誘われる。
「もしよかったら、明日の夜、僕のお気に入りのレストランで一緒に食事しない?一人旅だと食事相手に困るでしょ?」
「あ…はい。ありがとうございます」
あまりに自然な誘い方だったので、綾香は断ることができなかった。
◆
Day3
シャンゼリゼ大通りとセーヌ川に挟まれたシックなエリアにある『ル クラランス』に綾香は一樹と共にいた。
ここはボルドー格付け1級のシャトー・オー・ブリオンのオーナーが経営する二つ星レストランだという。
「すごく素敵ね!」
戸惑いつつも、レストランの豪奢な内装に心が弾む。
「あ、このワイン…」
一樹がセレクトしてくれた『SSS-Ⅱ 2018』 は、偶然にも1日目に拓真と一緒に飲んだ『シャトー・ワイマラマ』のSSSシリーズだった。
― なんだか、不思議な縁を感じるわ…。
ワインをおいしそうに味わう綾香に一樹も安心したようで、饒舌になる。
「綾香さんみたいな素敵な女性に、また出会えて光栄だよ」
「さすが、パリに住む人。口がうまいわね」と、綾香は軽く流す。
レストランの雰囲気なのか、ワインの力なのか…。いつの間にか一樹との時間を居心地良く感じている綾香。
そんなリラックスしながら食事を味わっている彼女を見て、一樹はしみじみと言う。
「きみと一緒にいると、楽しいよ」
ワインに合わせて出てきたメインディッシュは、鳩のロティ。
鳩の噛み応えや脂身も感じたが、それをカベルネ・ソーヴィニヨンにシラーがミックスされているワインが和らげてくれる。
初めは軽快でフローラルな香りがするが、味わいはデリケートでタンニンの繊細さが顔を見せる『SSS-Ⅱ 2018』の味わいは、どことなく一樹に似ている。
人当たりがよくて軽いノリの一樹に、最初はちょっと警戒していた綾香。しかし、一緒に時間を過ごすうちに、実は繊細で感受性豊かな一面や、男らしく頼りがいのあることに気づき始めていた。
「こうやって再会したのも、運命かもしれないね」
会話の合間で、時折そんなたわごとをはさむ一樹。綾香は、微笑を回答の代わりにした。
食事も終わり、店を出たあと。
一樹は、情熱的な視線を綾香に向ける。そして、彼女の手を握り、耳元でそっと囁いた。
「明日もあさっても、しあさっても、ずっと一緒にいたい」
「でも、私―」
綾香が、彼の手を振り払おうとした瞬間、逆に強く体を引き寄せられた。断りの文句を封じるかのように、一樹は彼女の唇を自分の唇で塞ぐ。
「じゃあ、またね」
そんなことをしておきながら、彼はタクシーが来ると、紳士的に綾香を送り出した。
ホテルに戻ったとあとも、綾香の唇には彼の温もりが残っていた……。
◆
Day4
翌朝、綾香のスマホには、拓真と一樹の二人からの誘いが届いた。
だが、綾香はパリ最後の夜を彼らと過ごすつもりはなかった。
ある人物と待ち合わせているのだ。