禁断の一言
彼らはほんの数か月、空港旅客業務を「体験」して、アメリカの訓練に旅立っていく。
私の大好きな職場に、職場見学のような、体験就業のような気持ちでやってきて、表面的な部分だけを見て、それから「空の上」に去っていく。それがやるせなかった。
しかし、神崎賢人はさすがに超難関を突破してきただけあって優秀な子だった。
OJTも後半になると、搭乗口の業務はひととおり頭に入ったようだったし、多少のイレギュラーにも動じることなく、的確なタイミングで指示を仰いでくる。
今では一歩下がって、彼に接客を任せても、そうそうトラブルは起こらないだろうという安心感さえ芽生えていた。
「芽衣さんは、この仕事が大好きなんですね」
飛行機が駐機場に到着し、CAが機体のドアを開けるのをボーディングブリッジで待っていると、神崎君が不意に話しかけてきた。
「ここで働いてる人は多かれ少なかれ、そうだと思うけど。でなきゃこんなキツイ仕事続かないでしょ」
言い当てられたのがちょっと気恥ずかしくて、目を逸らしたままそんな風に答えてみる。
そうだ、悪いか。私はこの仕事に誇りを持っている。
日々お客様と接し、その想いを汲んで、送り出す。理不尽なこともたくさんあるしシフト勤務は体力勝負だ。
でも、忘れられない。
不意にいただいた、お客様からの感謝の言葉。仲間との連携。みんなで飛行機の安全を守っているという達成感。
たとえパイロットのような派手さはなくても。体力勝負の割にはお給料が少なくても。
この仕事には、「魔力」がある。
ー殿上人のあなたにはわからないだろうけどね。
胸のうちでつぶやいた時、彼が口にした言葉は、私の予想を裏切る言葉だった。
「僕も、この仕事がこんなに大変で、こんなに面白いなんて思わなかったです」
「本当!?でしょ?そうなの、面白いのよ」
私は思わず振り向いて、神崎君の腕を掴んだ。
「ぷは、芽衣さん、熱血」
神崎君は吹き出した。それからほんの少し目を逸らしてから、もう一度私の顔を正面から見て、言った。
「先生が芽衣さんで、本当に良かった」
◆
「ええ!?な、な、なにそれ!?今期ダントツ人気の神崎君といい感じってこと!?」
同期4人で品川のイタリアン『アロマクラシコ』に集合して、OJTの様子を聞かれた私は、思わず心のモヤモヤを打ち明けてしまった。
あんな何気ない一言で、動揺してしまった自分に、喝を入れてほしかったのだ。
「彼氏いない歴27年、恋人は飛行機・山田芽衣。よりによってパイ訓に恋しちゃったか…難易度高すぎ」
「ち、違うって!大学の時彼氏いたし。神崎君に恋なんかしてないし!」
「あー、あれでしょ、高校の卒業式に告白して、芽衣が上京して遠恋のつもりが二股に2年も気が付かなかったっていう悲惨な…」
皆の憐れむような目が痛い。勢いよくスパークリングワインを飲み干した。
「でも、マジメな話、パイ訓を好きになっちゃうと前途多難だよね。職場の肉食適齢期女子数百人がライバルだし、うまくいっても年単位でアメリカとの遠恋になっちゃうし」
「おまけに数年後、チェックアウトするまでに籍入れられなかったら、間違いなくラインに出てCAにとられるよ。何なら女子アナとか宝ジェンヌと結婚するパイロットもいるもんね。例え結婚したって世界中にステイしてる夫じゃ安心できないよ」
「だけどアレだけ稼いでくればいいじゃない!制服姿は3割増しに見えるし、夫の操縦する飛行機でちょっとパリまで、なんて言ってみたいよね!」
盛り上がる同期を前に、胸がすうっと冷えていくのを隠したくて、お酒をゆっくり飲みこんだ。
そうだ、何を浮かれてるんだろう。
航空業界ヒエラルキーのトップに君臨するパイロット。
もちろん世間でも人気があるのは想像できるが、やはりこの業界で働く女にとって、彼らは格別の輝きを放っている。
心技体揃った高い能力を駆使して、私たちの最終目標である安全運航の責任を一身に担ってミッションを全うする姿は、頼もしく誇らしい。
ーそんな将来有望君に、ちょっとお世辞言われたくらいで舞い上がっちゃうなんて、私ほんと痛いな…。
大学時代に失恋したときの苦い記憶と相まって、振り切るように、小さく首を横に振った。
もう、馬鹿な恋はしない。絶対に。
そして、その時の私はまだ、何も知らなかった。その先に、どんな「地獄」が待ってるのかをー。
▶NEXT:4月28日 日曜更新予定
芽衣の恋の行方は…?そして、パイロット訓練生・神崎賢人の胸の内とは。
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この記事へのコメント
来週から楽しみ💓
(こら絶対空港の中の人書いてると思うw)
なれそめ聞かなくても、何となくこれ読めば、どんな感じだったか分かる気がする!