2019.02.01
つい最近まで、理香には付き合っている男がいた。
彼は帰国子女で、外資系のヘッドハンティング企業に勤めながら自身の会社も経営する、やり手の男だ。
3歳年上の彼は優しく包容力があり、理香のことを大切にしてくれた。彼の友人が集まるような会や、友人夫婦が開くホームパーティーに連れて行かれることも多く、彼が結婚を視野に入れていることは十分に感じていた。
だが理香はこの半年ほど、仕事で『あの頃は CHOCOLATE』の開発に没頭しているのだ。
それは、約60年分の新聞記事データを分析して、“より多く使われた言葉”をもとに「あの頃の、時代のムード」を味わえるチョコレートを開発するというプロジェクト。
「オイルショックの混迷味」「魅惑のバブル絶頂味」「絶望のバブル崩壊味」など5種類のチョコレートの開発に携わっているのだ。
普段は企業からの依頼を受けてひたすらデータ分析をしている理香だが、今回このイレギュラーなプロジェクトに抜擢されたことで、いつも以上に仕事にのめり込んだ。
そのために、彼とのデートの約束もすっぽかしたり、レストランで延々彼を待たせたことも一度や二度ではない。
「仕事好きで聡明な君のことは好きだけど、これ以上はツラい…」
彼にそんな弱音のようなことを吐かせてしまって、理香はようやく気づいた。だが、反省はするものの自分を変えることもできず、彼とはそのまま別れることになったのだ。
そうして最近は、お食事会へと返り咲いていたのだが、やはり自分の仕事のことを理解してくれるような男性には、なかなか出会えずにいる。
真美からの「本気で結婚相手を探さないと」と言われた言葉も、気にならないわけではない。
恋愛よりも仕事を優先させてしまう自分は、女として感覚がずれているのかと心配になることもある。
そんなこともあって、『あの頃は CHOCOLATE』の開発が落ち着いてからは、タイミングが合えばデートに出かけるようになっていた。
今夜も、ジムで仲良くなった男性と銀座のレストランでデートだ。
彼とじっくり話すのは初めてだが、会話のテンポは悪くない。ジムに通っているだけあり、引き締まった体と清潔感あるスーツの着こなしも、理香の好みだった。
彼の方も「本当に美人だ」とか「ずっと前から話してみたかった」など、理香を気持ちよくさせる言葉を惜しみなく並べてくれる。
「ところで理香さんがされている、データサイエンティストって、具体的にはどういうお仕事なんですか?」
コース料理の3品目が運ばれてきた時、彼から急にそんな質問をされた。
「えーっと、ちょっと説明しにくいんですが…あ、最近は『あの頃は CHOCOLATE』っていうのを開発しまして」
「へえ、どんなものですか?」
「チョコレートで、バブル崩壊当時の“時代のムード”が味わえるんです。他にも、“魅惑のバブル絶頂味”や、“人類初の月面着陸味”もあるんですよ。そういうの、味わってみたくないですか?」
待ってましたとばかりに熱弁する理香。目の前の彼が少し引き気味になっているのは、理香もなんとなく感じてはいたが、大好きな仕事の話は止まらなかった。
「いやぁ、理香さんはとても仕事熱心な方なんですね」
最後のコーヒーを飲みながら、苦笑いでそう言う彼を見て、理香は「また失敗した…」と心の中で嘆いていた。
きっとこの人も、仕事に熱中する女性は、求めていない。男性の多くは、ほどほど仕事を頑張る女性が好きなのだ。
あまり仕事の話に熱くならないよう気をつけていたのに、彼とは会話の相性が良かったために、つい喋りすぎたと反省する。
案の定、2軒目に誘われることもなく「じゃあまた、ジムで」と言われてお互い別のタクシーに乗り込んだ。
—理香って、残念な美人だよなー
過去に、仲のいい男友だちに言われた言葉が頭をよぎる。彼の言った「残念」にどんな意味が含まれているのかはわからないが、きっと今夜のような出来事も、残念な女のエピソードとしては十分なのだろう。
肩に重りを乗せられたように、ぐったりとうなだれる。
タクシーが、煌々と輝く東京タワーの下を通っても、いつものように東京タワーを見上げる気力さえなかった。
その時、バッグに入れていたスマホが、短く一度だけ震えた。
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