
すでに罠に堕ちているのは、夫か妻か…。ジリジリと追いかけてくる、規則正しい革靴の音
東京のアッパー層を知り尽くし、その秘密を握る男がいる。
その男とは…大企業の重役でも、財界の重鎮でもなく、彼らの一番近くにいる『お抱え運転手』である。
時に日本を動かす密談さえ行われる「黒塗りの高級車」は、ただの「移動手段」ではない。それゆえ、上流階級のパーティではいつも、こんな会話が交わされる。
「いい運転手を知らないか?」
一見、自らの意思などなく雇い主に望まれるまま、ただ黙々と目的地へ向かっているように見える運転手が。
もしも…雇い主とその家族の運命を動かし、人生を狂わせるために近づいているのだとしたら?
これは、上流階級の光と闇を知り尽くし支配する、得体の知れない運転手の物語。
ようこそ…黒塗りの扉の、その奥の…闇の世界へ。
これまでのあらすじ
自らの手腕で成り上がった男・環利一(たまき・としかず)。利一は、新たに雇った運転手・鈴木明(すずき・あきら)の身辺調査を始め、その結果を別荘で彼に突きつけた。だが鈴木は、利一が雇っていた調査員・佐藤の存在にすぐに気づき、自身に関する情報を自ら佐藤に渡したと言うのだった。
「今すぐ佐藤さんにお電話されては?そして私が言っていることが本当かどうか、環さまご自身の耳と直感で…確かめられてはいかがでしょう?」
まるで自分の身の潔白を示すためのような、鈴木明の提案。その腹は相変わらず見えないままだが、利一は言われるまま従ってみることにした。
「そだね。そうさせてもらおうかな。明ちゃんは気にせず飲んでて。あ、音楽聞きたかったら、そこにレコードもあるし…適当にどうぞ」
そう言うと利一は席を立ち、調査員の佐藤に電話をかけるためリビングを出た。出たと言っても、ドア1枚を隔てた廊下。そのドアのほとんどは透明のガラスになっており、鈴木の様子を見張ることができる位置に立った。
―まあ、判断材料としての証言と情報は多い方がいいからな。
そんなことを思いながら、佐藤の番号を押す。数コールのうちに佐藤の声がして、簡単な挨拶を済ませた後に事情を説明し質問すると、佐藤は、いともあっさりと笑いながら言った。
「あー、もうバレちゃったんですねー。僕が鈴木さんと喋ったこと」
とりあえず、鈴木の言っていることが正しいということは、あっさりと分かった。そのあっけらかんとした悪びれない口調に、利一は思わずため息をつきたくなった。
―まあ、佐藤さんはこういう男だよな。
刑事だった時代は、自ら希望して数年かけて行う潜入捜査もこなしていたらしい。つまり悪の組織に染まることさえ楽しめてしまう男。
その度胸のせいか誰に対しても生意気で、媚びるということを知らない。それに怒って契約を切る客も多いと聞くが、利一は能力があれば性格など問題ないと考えるたため、今までそれが気になったことはなかったのだが。
「いつも完璧な仕事で随分助けてもらってきましたから、佐藤さんのことを全く信用してないってわけでもないですけど。もらった調査報告書、まさか鈴木明の証言のみで作りました?
もし俺にバレなければ、そのことすら黙ってようと思ったんですか?流石にそれはルール違反じゃないかなー」
リビングの中の鈴木に聞こえぬ程度の声で、利一は佐藤に問いかける。鈴木はこちらを気にする様子は全くないまま席を立った。どうやらレコードを見に行ったようだ。
スリルも駆け引きも嫌いじゃないが、よくもこう得体の知れない人物ばかりが周りに集まるものだと、利一はふと自虐的な気分になった。
―まあ、俺も人のことは言えないんだろうけど。
「環さん、僕がどんな人でなしであろうと、そんなことは絶対にしませんよ」
軽かった佐藤の口調が少し尖り、強くなった。利一が沈黙で先を促すと、すぐに続けた。
「利用できるものは全て利用しますが、この僕が…裏を取らないと思います?それに環さん忘れたわけじゃありませんよね?以前お伝えした“悪魔”ってキーワードのこと」......
この記事へのコメント
彼のことだから確信犯だろうけど、利一を動揺させた上で、自分は困ってしまいます、雇い主様にご判断を仰ぎます、的なポーズ。ほんと底知れない。
義母からの差し金?いやまさか…