恋と友情のあいだで~廉 Ver.~ Vol.10

妻を抱く苦痛から目を逸らし、“恋人”との蜜月に溺れる。理性を失った男の不埒な言い分

急に襲った、罪悪感


「廉、おかえり!疲れたでしょう」

シンガポールでの住まい、リバーバレーの自宅に戻ると、妻の美月が穏やかな笑顔で僕を迎えた。

キッチンから微かに漂う、出汁の香り。出張帰りの僕を気遣って胃に優しい和食を作って待っていてくれたらしい。

無条件に、ホッとする。

整えられたリビングを見渡すと包み込むような安心を覚え、僕はもうすっかりシンガポールで美月と暮らす生活に慣れていたのだな、と改めて感じた。

すると同時に、つい早朝までの東京での出来事が、急に随分と遠い話に思えてくる。


「空港から、直接会社に行ったの?一度、戻ってくるのかと思ってたけど…」

用意してくれた味噌汁をすする僕に、美月が何気なく問いかける。

彼女には、帰国便の変更を伝えていない。つまり僕は、今朝早くシンガポールに到着していることになっているのだ。

「ああ…ラウンジでシャワー浴びて、そのまま出社したんだ。家に戻ると安心して、そのまま寝ちゃいそうだったからさぁ(笑)」

この言い訳は、もちろん準備していた。そのため自然に説明することはできたが、さすがに美月の目を見ることはできず目をそらす。

けれど「そう」と答えた妻の声は変わらず穏やかで、僕はホッと胸をなでおろした。

「美月は?どうしてた?」

そんな風に話題を変えた僕を、訝しむこともない。

彼女は無邪気に、不在中に出かけたのだというカトン地区の話を語り出し、食事を終えると、購入してきたプラナカン食器の数々をご機嫌で僕に披露した。

疑われるのは、困る。もちろん。

しかし自分でも矛盾していると思うが、彼女がこちらに向ける眼差しが柔らかいほど、胸の奥がしくしくと疼くのだ。

「見て、可愛いでしょう?」

そう言って、彼女が嬉しそうに僕を見上げたとき。

里奈と何度肌を重ねてもまるで感じなかったはずの罪悪感が、急に荒ぶる波となって僕を襲ったのだ。

「ごめんな、美月。寂しかっただろ」

僕は思わず美月を抱きしめ、そう口走っていた。

胸に顔を埋め「どうしたの」と小さく笑う彼女のくぐもった声すらも、心を容赦なく抉る。

僕はゆっくり美月の髪を撫で、そして強引に唇を重ねた。まるで上書きをするように、何度も何度も唇を吸った。

最低だ。そんなことはわかっている。

だが、もはや“友達”という言い訳を失くした僕と里奈の関係は、現実として受け止めるにはあまりに重く、そうでもしないと僕は冷静さを保っていられなかったのだ。

「...廉、ベッド行こう?」

潤んだ瞳で美月に促され、僕は何かを振り切るように寝室へと向かった。

数日ぶりの見慣れたベッドルームには、洗い立てのシーツの香りが微かに漂う。

ホテルのそれとは違う日常の温もりの中で、僕はその夜、美月に求められるがまま何度も抱き合った。

しかしその最中、僕はずっと、傷口を攻め立てるような痛みと戦い続けていた。

...正しいことをしているはずなのに、感じてしまう苦痛。その事実に、必死で気づかぬふりをしながら。

この記事へのコメント

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No Name
里奈、結局朝帰りしたんだ。
朝まで一緒に居られる?なんて言われたら、そりゃあ好きだし帰りたくないし…っていう気持ちは不倫してなくても分かるけど、家に帰ったとき直哉がどれだけ怒り狂ってたか考えただけで恐ろしい。
里奈がそんな思いをしてる時、廉は美月に償いのキスですか、そうですか。
2018/08/29 05:5999+返信30件
eGFR
女性の嫉妬は怖いよ~(>_
廉も悪いのに、里奈だけ全てを失うかもね。
2018/08/29 05:3499+返信16件
No Name
男性側の気持ちが、よーくわかるお話でした。
人それぞれだとは思うけど、不倫すると奥様と仲良くなるというのには、男性側には、こういう感情の動きがあるんだな…
2018/08/29 05:5699+返信10件
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