オトナ鮨ならとことん つまみ派 Vol.1

テルヤ

てる也

人が縁で飛び込んだ鮨の世界で一本立ち

つまみ続けても粋な夜がある

酒飲みの気持ちが分かるんだと思う。それも、能書きで飲むより、身体を張ってきたクチと見た。

今年1月、一番町『てる也』で独立した飯田照也氏は、親の仕事の関係で高校時代からをNYで過ごす。彼が偶然出逢ったのが、現『すし匠齋藤』の齋藤敏雄氏。齋藤氏に声をかけられて、NYの鮨店で働きはじめたのが、鮨職人の道に入るきっかけだ。

齋藤氏を兄貴、師匠と慕いはじめて程なく、一時帰国の機会を得て、本山・四谷『すし匠』の中澤圭二氏と出会う。その時、中澤氏は飯田氏にこう、言付けた。

「敏雄がいつ帰ってきても、それなりのポジションを用意しているから、安心しろと伝えてくれ」男たちの、いや師匠と弟子の太い信頼関係に感化され、魅了された飯田氏は、この時から真剣に鮨職人になると誓ったに違いない。「しびれましたよ。すごいし、格好がいいし、ナンというか……」

もし師匠達が鮨職人ではなく、フレンチの料理人だったら?と問えば、「ならばその道を進んだかもしれません」というが、鮨という世界が彼自身の気質に合ったのも事実。憧れだけでは続かぬ世界、帰国後は活魚の勉強を兼ねて宮崎で2年、中澤氏に紹介された六本木の店で2年、齋藤氏の独立を機に赤坂『すし匠齋藤』で6年ときっちりと修業をこなした。

『てる也』は仕入れ状況やお客の様子を見つつ、つまみと握りを織りまぜて供する。このスタイルはもちろん、敬愛する中澤・齋藤両氏から学んだもの。全体的に味わいは優しく時に淡い。それで酒が進むのか?いや進むんである。

若き大将は、「えんえん飲んでいたい」呑兵衛の気持ちを、ちゃんと知っているに違いない。なんといってもお酒が人の縁を紡ぐことを、よく知っている御仁なのだから。

2日ほど寝かせた小肌

5日間寝かせたまぐろには和辛子を添えて

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