好きな人の前で、“自分らしく”いられない女
陽介と二人きりでの食事は、やはり聡子にとって特別な時間だった。
紳士的で優しい彼を眺めているだけで、胸がドキドキと高揚した。こうしていると、結局自分はまだ陽介が好きなのだと再認識してしまう。
「聡子は最近、休日は何してる?海外ドラマで英語の勉強とか?」
聡子は夢心地で食事を楽しんでいたが、彼の問いに頷こうとしたとき、陽介の恋人・知美のInstagramが不意に頭を過ぎった。
可愛らしい手作り料理に、オシャレなテーブルコーディネートやフラワーアレンジメントの写真。女子力たっぷりのアカウントを思い出すと、彼女への対抗心が沸々と芽生える。
「先週末は...習い事に行ったわ。近所に、美味しい和食を教えてくれるお料理教室があるの。ねぇ陽介、私だって、ずーっと土日は家にいるわけじゃないのよ」
拗ねたように答えると、陽介は興味深そうに目を輝かせる。そのまっすぐな眼差しに、聡子は嘘をついたことを一瞬で後悔した。
料理教室の話は事実だが、それは半年も前に興味本位で1度通っただけだ。本当は彼の言う通り、一日中家でNetflixを観ていたのだった。
UberEATSで頼んだフードを片手に海外ドラマを鑑賞し続ける休日は、最高の癒しの時間だ。
その日の気分に合わせて、好きな作品と好きな食べ物を選び、誰にも邪魔をされずに思う存分ドラマを楽しむ週末。それは聡子にとって、一番のストレス解消方法である。
先週末はNetflixオリジナルドラマの中でも絶大な人気を誇る「ストレンジャー・シングス 未知の世界」のシーズン1と2をイッキ見していた。好きなドラマだから何度でも見てしまうお気に入りの作品だ。
こうしたイッキ見のことを、英語では“Binge”(ビンジ)という。ちょっと前にはDVDをたくさん借りてイッキ見していたが、最近では日本でもNetflixのようなオンラインストリーミング動画サービスで、この“Binge”が広まりつつあるらしい。
ワタルとLINEしながらそのことを教えてあげると、こんな返信がやってきた。
―へぇ、じゃあ俺も“Binge”しよう!―
そうして二人は、競うように同じドラマを観ているのだ。
実はワタルと食事をして以来、こんな他愛もないLINEのやりとりが続いている。この“Binge Racing”(イッキ見競争)は二人のブームになりつつあった。
新作が出たタイミングには、週末に二人で同じ作品を観て、その感想をシェアすることもある。Netflixに関することなら自然と話題が弾んだ。
心奪われる作品を観た後に、本音で感想を言い合うことで、二人の距離もだんだん縮まっている気がする。
陽介とは違い、聡子はワタルには素の自分のままで接することができる。男女関係を意識しているわけではないが、何でも気軽に語り合える存在は貴重だった。
◆
「......聡子?聞いてる?」
陽介に顔を覗き込まれ、聡子はハッと我に返る。いつのまにか会話は、彼のフランス出張の話になっていた。
「う、うん!いいなぁ、仕事でフランスなんて羨ましい」
「...そうでもないよ。聞こえはいいけど、プレッシャーもかなりあってさ...」
聞くところによると、陽介はフランスで行われる新製品発表のイベントの仕切りを一任されているという。
東京ならともかく、気質も文化も異なるフランス人に囲まれて仕事をするのは、優秀な陽介とはいえ辛いこともあるようだ。彼の弱気な発言は珍しく、聡子は思わず熱弁して励ます。
「大丈夫!!何ていうか...陽介っていつも堂々としていて、どんな相手にも物怖じしない強さがあるじゃない?きっと周りもそんな陽介の素質を知ってて、重役に任命したに決まってるわ!だから頑張って!!!」
すると陽介は、ポカンとした表情で聡子を眺めたのち、次第にクスクスと笑い始めた。
―しまった...。私ったら、熱くなりすぎてお門違いなこと言っちゃったかな...。
内心オロオロと焦っていると、彼は聡子を強く見つめて言った。
「そんな風に励ましてくれて、ありがとう。実は彼女とは、こういう話はあんまりできなくてさ...。聡子とは仕事の話もできるから、一緒にいると、本当に楽しいよ」