誘惑する唇:追う恋に疲れた時、好きだと言ってくれる男性に寄りかかるのはダメなこと?
今までも直前でのドタキャンはあった。仕事をしていれば、どうしても都合がつかなくなることなんて、十分理解している。
だが、たった今届いたLINEは明らかに、今までと温度感が違うのだ。
これまでのドタキャンで康史は、真樹が「そんなに謝らなくても」と思うほど謝ってきたり、「代わりにこの日はどうかな?」と別の候補日を出してきていた。
本当に申し訳なく思っているし、食事に行きたい気持ちはあるのだということが、その態度から伝わってきていた。
それが、今届いたLINEからは感じられないのだ。
―何か、おかしい。でも、なんで……?
つい先日までは普通だったのに、何かが違う。
真樹は不安になり、これまでの康史とのやり取りを見返した。何か怒らせるようなことを書いてしまったのか、それとも前回使ったカワウソのスタンプがセンスないとでも思われたのか……。
真樹は画面をスクロールして遡るが、思い当たるようなものはなかった。
心のザワつきが落ち着かないまま、ひとまず返信をする。
―残念ですけど、わかりました。じゃあまた他の日にお願いします!
うさぎがにっこり笑うスタンプも一緒に送った。だが、定時を過ぎて、残業する時間になってもその返信はこなかった。
真樹が送ったメッセージは随分前に既読になっているというのに。
―はぁ……。
仕事がひと段落ついたタイミングで、化粧室でメイクをなおしていると思わずため息がこぼれた。
康史が、あえて既読スルーをしているとしたら、自分は一体どんなミスをしてしまったのだろうかと、そればかりをずっと考えている。
思い当たる答えが見つからないまま、ぼんやりした頭でデスクに戻っていると、正面から同期の弥生が歩いてきた。
いつも通り「お疲れ~」と言ってすれ違おうとした時、弥生に呼び止められた。
「そういえば真樹さあ、最近口紅変えたよね?」
「え、うん。まあね」
弥生はメイクには人一倍強いこだわりを持っており、新卒時代に彼女から眉の形を指摘されたことが何度もある。
「何使ってるの?すごく綺麗だなーと思ってたんだけど」
「本当?弥生にそんなこと言われるなんて、ちょっと嬉しい。最近これに変えたんだ」
真樹は得意気に化粧ポーチからゲランの「キスキス マット」を取り出して見せた。
「へえ、それなんだ。すごく似合ってる!口紅って簡単にイメチェンできるから良いよね」
「さすが弥生、よく見てるわ」
弥生と一緒に軽口を叩いていると、彼女の後ろに見慣れた背中を見つけて、真樹は思わず息を止めた。
その背中の主は、間違いなく康史だ。
真樹は一瞬、弥生の影に隠れるように身を縮めた。だが、すぐに思い直して弥生に言った。
「ごめん、ちょっともう行かなきゃ」
口紅をポーチに戻し、見えなくなった康史の背中を追った。
何を言えばいいかなんて考えていない。
ただ、どうして康史の態度が急変したのか、その理由を聞かずにはいられなかった。