注文の多い女たち Vol.2

注文の多い女たち:気づけば32歳。自由な時間・お金と引き換えに手放したもの

やっと手に入れた、自由な時間とお金


亜希はずっと、大好きなファッションと海外旅行を仕事にしたいと夢見ていた。

上智大学卒業後、広告代理店で8年間営業職をしながらも夢を諦められずにいた30歳の時、チャンスが訪れる。

知人の紹介で出会ったアパレル会社の社長が亜希のセンスをかってくれ、新しくオープンするセレクトショップのバイイングを任せると言って独立を支援してくれたのだ。

それからは文字通りがむしゃらに仕事を追いかけて、事業がようやく軌道に乗ったのは最近のこと。気がついたら、32歳になっていた。

やっと手に入れた、好きなことをして働く喜びと自由な時間、そしてお金。

これらを何一つ手放す必要のない男性と結婚したいと願うのは、贅沢なのだろうか。


ようやく順番がきて、ふたりは小菓子と冷たいお茶が用意された座敷へと案内された。

壁際には透明のケースが並んでいて、飼育されている大量の鈴虫が涼しげな音色を奏でている。

「どんな願い事でも、1つだけ叶えてくれます。鈴虫寺のお地蔵さんはわらじを履いておられますから、日本全国どこでも皆さんの家まで願いを叶えに来てくれるのですよ」

和やかな表情をした住職が現れて、鈴虫寺の成り立ちや、お地蔵さんへのお願いの仕方などの説明が始まった。

お参りの前に、心を落ち着けて今一度自分の心と向き合うため、ということだ。

半信半疑でも、住職の穏やかかつ力強い言葉には説得力があって、信じる者は救われる、せっかくここまで来たのだから、真剣にお願いを考えようという気持ちにさせられる。

「何をお願いする?」

隣に座るエミに小声で問うと、当然と言わんばかりに「結婚一択」と即答された。

すると、二人のやりとりが聞こえたのだろうか、住職は諭すような口調でこう続けるのだった。

「特定の相手がいないのに結婚したいと願っても、さすがのお地蔵さんも叶えることはできませんのでね、順序がありますから」

その言葉に亜希が笑いを堪えて「順序がありますから」と復唱したら、エミに睨まれてしまった。

「相手がいない方は、まずは出会いを願いましょう。ただ、あれもこれもと条件を並べてはいけませんよ」

...住職は、亜希とエミのよこしまな心をすべてお見通しのようだ。

忠告されなければ、おそらく二人とも、お地蔵さんにも覚えきれないほどの注文を並べてしまうところであった。

とはいえ、条件をつけてはいけないというのは厳しい話である。相手のいない32歳の女は、立場をわきまえて妥協しろとでもいうのだろうか。

抗議の色を込めた眼差しで見つめていると、住職はゆっくり頷いてみせた。そして、亜希とエミ、そしてその場にいる全員に視線を送りながら言葉を続けるのだった。

「ふさわしい人。...それが、1番です」

ふさわしい人。

それがどんな人なのか、今の亜希には想像もつかない。

この世のどこかに存在しているはずの、まだ見ぬ運命の相手を一生懸命に思い描きながら、今はただ無心で祈るほかない。

▶NEXT :8月23日 火曜更新予定
さっそく、鈴虫寺のご利益が...?!亜希に新たな恋の予感!

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