久美子はゆっくりとした動作でワインを一口喉に流し込んだ後、頼樹の方を見た。頼樹は強張った顔で、奈緒は鋭い目でそれぞれ、久美子と岡田を見てきた。頼樹の隣に座る、後輩の蜷川は何も気にせずいつものように「もう僕だめですぅ~」と言って場を盛り上げている。
それから久美子は、一切頼樹たちの方に視線を向けず、岡田との食事を楽しんだ。頼樹は何度もこちらを見ていたが、気にしていないふりを貫いた。久美子は艶やかに輝く髪を見せつけるようにかきあげ、余裕の笑みさえ浮かべた。
久美子と岡田は、デザートまで食べて店を出る準備を始めた。頼樹たちはまだ盛り上がっているようだが、彼らの方に一切視線を向けず、バッグを持って出口まで行った。スタッフに礼を述べて岡田と一緒に店を出る。後ろは振り返らなかった。
「なんか本当にごめんね。この埋め合わせは必ずするから」
並んで歩きながら、久美子は岡田に謝った。岡田は「うん」と言うだけで、それ以上は何も言わずに少しの沈黙が流れた。
頼樹は今日の事をどう思っただろうか。これでもう頼樹とは終ってしまうかもしれない。
悪い考えばかりが、久美子の頭の中に溢れてくる。ちょっと大人げない事をしたかなと反省もしている。だがせめて、久美子の変貌に驚いた奈緒の顔を見ることはできた。それだけでも合格としよう。そう自分に言い聞かせたのだった。
その時、背後でバタバタと大きな音が響き、それは段々近づいて来た。久美子が驚いて振り返ると、そこには肩で息をする頼樹がいた。
「ハア……ハア……。俺も、そこ混ぜて……!」
それだけ言うと、久美子の手を強く握り、続けて言った。
「絶対待ってて。10分で戻ってくるから。」
それだけ言うと、また走ってレストランの方へ消えてしまった。少し離れた場所から見ていた岡田は、呆れたように笑って言った。
「あいつ、なんだかんだ言ってやっぱり西尾の事が好きなんだな」
久美子はこの時、完全勝利を確信し緊張の糸が切れたように大きく息を吐いた。
「良かったぁ……」
「そうだな、良かったな」
岡田もやれやれといった様子でそう言うと、久美子の顔を覗き込みながら「ところで…」と続けた。
「前も言ったけど、最近西尾がすごく変わったって社内でもっぱらの評判だけど、いったい何してんの?」
久美子はバスルームに並ぶヘアケアセットを思い浮かべながら、「それはね……ヒミツ」と言って誇らしげに笑うのだった。
(fin)