頼樹とケンカする数日前・・・
「最近なんか、雰囲気変わったわね。女子力上がったんじゃない?」
職場のデスクで、昼食の『デリフランス』で買ったサンドイッチを頬張っていると、社内でもっとも面倒見が良いと評判の先輩、広畑に言われた。
「え、そうですか?」
とぼけてみたものの顔が緩むのを抑えられず、久美子は素直に照れた。
「実はおうちサロン、略してうちサロを始めたんです。」
「へぇ~、何それ?」
食いついてくる広畑に、久美子は丁寧に説明した。
いつものヘアケアにパンテーンのトリートメントチューブを使うだけで、家にいながら、まるで“サロン体験”をしたかのような、ワンランク上の艶やかな髪が手に入る。
この「うちサロ」は、久美子のような多忙な女子には心強い味方のような存在なのだ。
「今では立派な“うちサロ女子”になりました!」
久美子が大げさに言うと、広畑も楽しそうに笑ってくれた。
奈緒の存在を意識し始め、美容はもちろんファッションにも力を入れるようになった久美子。自分が変わっていくのを実感できるのはやはり嬉しい。髪が綺麗になり、それに合うメイクをしたくなったら、次はメイクに合うファッションを楽しみたくなった。通勤はパンツ派だったが、最近はスカートの登場も増えたほどだ。
自分の変化に1番驚いているのは久美子自身かもしれない。おしゃれを楽しむという感覚を思い出したら、毎日に少しだけメリハリも出た気がする。
「おやおやおや」
広畑と盛り上がっていると、満面の笑みを浮かべた山代がいつもの口癖と共に現れた。彼は敏腕マーケターで、こうして話に入ってきては後輩いじりを楽しむのだ。
久美子が美容の話で盛り上がっていることを伝えると、
「だったら、加圧トレーニングがおすすめだよ」と一言。
「でも、山代さんトレーニングの効果でてませんよね?」そう言って山代のお腹に目線を移すと、彼は笑ってその場を去ってしまった。
「今日はあまりいじられなくて良かったぁ。あ、じゃあ私これから外出なんで。」
広畑に伝えて、バッグを掴みエレベーターへ走った。
エレベーターに乗ると、山崎奈緒を筆頭にした秘書軍団が乗ってきてしまった。奈緒は久美子の前に立ち、綺麗にブローされた髪が目の前にふわりと現れた。
―またわざとらしく。いちいち自己主張してこないでくださーい……。
久美子は冷めた目で奈緒の髪を見つめた。
エレベーターを降りる際、奈緒が目線をばっちり合わせたまま「それでは」と言ってきた。唇を固く結んだまま口角だけをキュッと上げていたが、その瞳は決して笑っていない。
何かを含んだような不敵な笑みが、久美子の心をざわつかせた。
◆
その日の夜、仕事を終えて一人で駅まで歩いていると、後ろから走ってくる足音が聞こえた。足音が止まるのと同時に「西尾!」と名字を呼ばれ、振り返ると同期の岡田がいた。
岡田は同じ営業をしているが、不定期に開かれる同期会で会う以外はあまり接点のない男だ。だが、今日の彼はなんだか様子が違う。
「西尾、最近雰囲気が変わったって噂だぞ」
「え、何それ。それって良い意味?悪い意味?」
「もちろん良い方だよ。綺麗になったってみんな言ってるよ」
「まじですかー」
「俺から言わせれば、今さら気付いたのかって感じだけどな」
「え?」
思いがけない言葉に驚いて、並んで歩く岡田の顔を見ると、彼はとびきりの笑顔を向けてきて、久美子を一瞬ドキリとさせた。
「なあ、今度デートしようよ。二人で美味いものでも食べに行こう。」
それは、岡田から突然の誘いだった。