答えはもちろん「変わった」ですよね。
変わり続けなければ、成長はない。いたってシンプルなことです。
取締役に就任した時の気持ちですか?
もちろん嬉しかったですよ。30年以上目指し続けたステータスですからね。
就任が決まった日は、あの『ヱビス マイスター』で息子と乾杯しました。ええ、そう。あのコンゴで生まれた息子も今年で20歳になったんですよ。
「父さん、おめでとう」と言われて、目頭が熱くなりました。
「仕事って、大変?」
唐突にそんな事を聞かれました。数年後に社会に出る事を控えて、思う所があるのでしょう。
「大変な事も多いけど、自分次第でいくらでも面白くできる」
そう答えました。30年以上働いてきた僕の本音です。
たくましく育った息子と飲み交わすビールは格別でしたよ。まさに自分へのご褒美。至福の時間です。
12歳から17歳までの、多感な時期をドイツで過ごした息子。現在はアメリカのボストンに留学中で、なかなか会えず寂しく思っています。
僕が目指し、手に入れた“最高峰”。きっと息子も、彼なりの“最高峰”を見つけてそれに向かって突き進んでくれると信じています。
息子と飲み終えた後、32年の商社マン人生における様々なシーンが頭をよぎりました。いろんな苦労を乗り越えて、今の僕があるんです。
東京の商社マンは、本当に勝ち組なのか?
まだ20代だった頃、身動きとれず変な体勢のまま新宿から渋谷までをなんとか耐えた山手線の通勤ラッシュ。靴底をすり減らして東京中、いや世界中をパソコン入りの重い鞄を持ち猛暑の中も一歩一歩、歩き回った。
「東京の商社マンは勝ち組み」なんて、ただの幻想だったのかもしれません。確かに少なくない額の収入を得ることはできます。ですが、もっと稼げる職業が、東京には溢れています。
僕も、「商社マンになれば人生逆転できる」と思って入社したんですから、当時の大学生には商社マンという肩書は何よりも眩しく輝いて見えたんでしょうね。
でも実際は地味な毎日の連続。頭を下げながら、悔しさをこらえて奥歯をぐっと噛みしめた回数なんて、わかりませんよ。“最高峰”という目標を持てなかったら、僕は今頃何をしていたのでしょう。
……でも、不思議なものですね。一方であんなに欲しかった取締役の地位が、実際に手に入れてみると思いのほか小さく見えてしまう時があるんです。
喪失感とまでは言いませんが……何と言うか、妙に冷静な自分がいました。