
上位3%の悲哀:98年入社・ITバブルの欠片組。年収1,000万越えと共に見えた自分の限界値
東京には、上には上がいる。
地方で羨望の眼差しを向けられる年収1,000万円プレイヤーかて、東京ではさほど珍しいものではなく、「都心で優雅に暮らすには世帯年収2,000万円はないと。」とこぼす、東京婚活女子も少なくない。
とはいえ、十分な稼ぎに、素敵な家庭と子供。客観的に見れば、十分恵まれた生活。これ以上、何を望むものがあるだろうか?
だが、彼らの得体の知れない渇きが満たされることは、決してない。
そんな日本の同年代で上位3%には入るであろう男たちの、東京生活での悲哀に焦点を当てる。
名前:修二
年齢:40歳
職業:日系 大手IT会社勤務 プロジェクトマネージャー
年収:1,100万円
年収1,000万円越えは本当に幸せなのか?
「もうすぐ小学生になる娘がいて。可愛くてたまりません。」
娘の写真を見せて笑顔を覗かせる修二は、日系の大手IT企業に勤めるエンジニアだ。 ITが最も華型で、就職先人気の上位を占めていた1998年入社組だという。
当時NEC、IBM、日立、富士通などに代表される、誰もが一度は聞いたことがある大手企業は難関就職先であり、それらの大手企業に就職できた人達は東大京大、早慶と名高い大学出身の人たちばかり。まさにエリート街道が約束されているような黄金ルートだった。
入社して数年後には年収は600万を越え、給料は毎年鰻のぼり。40歳になった時に、給料は果たして幾ら貰えるのかを想像すると誰もが夢を描き、心を躍らしていた。
しかし2001年にITバブルは弾け、現在2016年。業界自体、華やかさは失いつつあるが当時大量に就職し、大手IT企業に雇われた大量就職組は今もなお、企業に残り頑張り続けている人が多いのだと言う。
「入社当時は何もかもが完璧で、人生すべてが上手くいくと信じて夢を描いていました。」
今まで何も疑問に感じてこなかった自分の人生。しかし最近よく焦燥感に駆られるという。現在修二の年収は1千万円を越えている。可愛い娘もいて、武蔵小杉のタワーマンションに3LDKの家も買った。娘をヤマハの音楽教室に通わせ、英会話にも通わせている。幸せだ。
何の問題も無い。でも、何かが足りない。自分の人生のリミットが見えている気がして、何故か心がざわつく。
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