グリードの向こう側 Vol.1

グリードの向こう側:会社の評判、知名度なんて実はどうでも良かった。敏腕経営者の英断

会社の利益も、知名度も上がった。しかし、周囲の誰も喜んでいない事実


「きっかけとして、特に大きな出来事があったわけじゃない。ただ、ふと会社内を見渡したときに、利益を上げて、会社の価値を高めることが、結局、誰の何の役に立ってるんだ?と思ったんだよ。」

社員は皆、上からこき使われ疲れた顔をしていた。役員たちは崇と同じ目標を持ち頑張ってくれてはいたが、上場を目指していた頃の熱意溢れる表情とは違う、ピリピリとした空気感が漂っている。社内の空気は明らかに悪くなっていた。

さらに崇自身は、家庭が崩壊していた。社長に就任してからは家庭での時間が激減し、妻と子供とは完全に距離が出来ていた。小学生になる娘からは、他人のおじさんのような感覚で接せられ、妻とは激しい喧嘩などはなかったものの、会話はほとんどなく、頼られることも一切なくなっていた。

「俺はもともと、金遣いの荒い奴や、女好きな奴が嫌いだった。そういう欲にまみれた奴はどんなに金を稼いでも偉くても尊敬しないと思ってたけど、利益や評判ばかり追求して他の何も顧みないことも、欲に翻弄されるって意味では同じだったんだよな。」

崇は会社のためにと必死になってはいたが、結局それは、ほとんどが株主の利益と、会社の評判が上がるという会社幹部の「自己満足」にしか直結していない。株価が釣り上がっても、社員の給与が莫大に増えるわけでもないのだ。

崇はそれなりの信念を持って仕事をしていたつもりではあったが、結局それは周囲の親しい人間を誰一人として幸せにはしていない、という事実に、突然目が覚めたように気づいてしまった。

会社の評判、知名度なんて、実はどうでも良かった。上を目指すのが「プラス」とは限らない


もともと正義感の強い崇の、それからの行動は早かった。早々に金融機関に資金借りるや否や、彼はMBO(マネジメント・バイアウト)という手段をとった。簡単に言えば、公開した株式をすべて買戻し、上場を自ら廃止したのだ。

「仕事に必死になって、あのまま会社利益を追求するのが“間違ってた”と思うわけじゃない。ただ当時の俺は、自分自身を振り返って、その道を選ぶのは辞めただけだよ。必要ないって判断したから。」

よくよく考えれば、会社の評判、知名度なんて、実はどうでもいいことだった。

上場企業という「価値」を捨てることは、一見は非合理的な判断のように思えるが、株主の目を気にする必要もなくなり、利益追求のプレッシャーも弱まる。実際、会社の名誉のためと多忙を強いられていた社員の中に、MBOに反対する者はほとんどいなかった。

何かをある程度達成したとき、そこで満足するか、まだ足りないと上を見上げるかには、大きな違いがある。それを強欲というのか、向上心と呼べるのか。必ずしもどちらかが正解というわけでもない。

「自分にとって、周囲の人間にとって、上を目指すことだけが“プラス”になるとは限らない。現状に満足せずに上ばかり見てる状態は、無間地獄みたいなもんだよ。」

その後崇は、社員や家族のケアに気を配るだけでなく、ボランティア活動にも尽力するようになった。途上国の学校設立の手助けをしたり、恵まれない子供たちの基金を集めるという活動も始めた。

崇は御曹司という身分で、生まれながらにして恵まれた環境で育った。家族や社員、友人にも恵まれ幸せ過ぎる人生を送る自分は、社会に貢献しない限りは必ずバチが当たる、というのが口癖でもある。



カフェでの一通りの取材が終わり、私が伝票を掴もうとすると、崇は素早くそれを取って立ち上がった。

「ここのお茶代を払うなら、それを熊本に募金してくれよ。」

彼はそう言い残し、堂々たる足取りで仕事に戻って行った。


#今回の話はフィクションですが実際の話を元に作成しています

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