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村上春樹好きな男 Vol.1

村上春樹好きな男:渋谷のBARで「ノルウェイの森」という名のカクテルを飲むということ。

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桃子は、村上春樹作品を読むというのは極めて女性的な営みだと考えている。着地点がはっきりしている男性の話に比べて、女性の話は意味や目的よりも、ただその場に漂う感情を共有することが重視される。村上春樹作品は、その点で非常に女性的だと思うのだ。

大学時代に付き合った経営者の男は、桃子の家にある村上春樹の小説を見て

「こういうのも良いけどさ、桃子もそろそろ将来のこと考えて投資の本とか読んだほうが良いよ」

と親切そうに言った。彼の言う通りだ。「ノルウェイの森」なんて読んだって、出世もできないし、お金持ちにもなれない。そんな本を読むことに時間を費やしてしまうことを、バカで暇人と笑う男もいるかもしれない。

けれど、そんな男は、場に漂う繊細な感情とか悲しみのようなものを、注意深く汲み取ることができる人間なのだ。彼らは、女の、無意味で長ったらしくて、意見しようものなら「ただ聞いてほしかっただけなのに」と理不尽に怒られかねない話を、ただ側にいて聞いてくれる。

だから、村上春樹好きな男、なかでも「ノルウェイの森」みたいな抒情的な作品を好きな男を、桃子は好きだ。柊はまさに「ノルウェイの森」好きらしい、優しすぎる男だった。

突然明かされた柊の秘密。そして桃子は……?


その夜から何か月か後、「ハズレ」のお食事会で偶然知り合った、柊の同級生だという大きな泣きボクロのある太った男から、柊が既婚者だと教えられた。

中学生から10年付き合った彼女と大学卒業と同時に結婚したのだという。息子が今年中学生になるというのにはさすがに驚いたけれど、柊が妻帯者であるという事実を聞いても、桃子の心は不思議なほど落ち着いていた。ああ、そうか。それだけだ。

その後も柊からは何度か誘いがあったけれど、桃子はやんわりと断った。柊はしつこく誘ってくることも、理由を問いただしてくることもなかった。最後の最後まで、柊は嫌なところのない男だった。

結局柊がなにを考えていたのか分からなかったし、知りたいとも思わなかったけれど、あの夜に見せた目の輝きだけは、本物だと思っている。きっと今頃柊は相変わらず、ウィスキーのオン・ザ・ロックを飲みながら穏やかに誰かの隣で話を聞いているんだろう。

本屋で村上春樹の本を見かけるたびに、柊には幸せでいてほしいな、と桃子は優しい気持ちになる。

桃子と知り合う男には、なぜか村上春樹好きな男が多いようだ。次週もまた、村上春樹好きな男を紹介する。

※本記事に掲載されている価格は、原則として消費税抜きの表示であり、記事配信時点でのものです。

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村上春樹好きな男

「村上春樹」の作品は好きだろうか?

彼の作品に登場する男たちは、飄々としながらBARではピナ・コラーダを飲み、自宅のキッチンでは読者の食欲をそそるスパゲッティを作ってしまうほど、料理が上手い(と思われる)。そして決まって、何もせずとも女が寄ってくる。

そんな村上春樹作品を好む男たちが少なからず東京には存在し、そんな「村上春樹好きな男」が好きだという女たちも少なからず存在する。

「村上春樹好きな男」が気になってしまうという桃子が、彼らハルキニストの生態を観察していく。

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